落合博満野球記念館
落合博満野球記念館 | |
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施設情報 | |
専門分野 | 野球 |
館長 | 落合博満 |
延床面積 | 450㎡[1] |
開館 | 1993年(平成5年)11月18日[2] |
閉館 | 2020年(令和2年)6月20日 - 2023年(令和5年)12月28日の間、改装のため休館[3] |
所在地 |
〒649-5171 和歌山県東牟婁郡太地町字神の浦1099番地5号[4] |
位置 | 北緯33度35分10.5秒 東経135度57分28.5秒 / 北緯33.586250度 東経135.957917度座標: 北緯33度35分10.5秒 東経135度57分28.5秒 / 北緯33.586250度 東経135.957917度 |
プロジェクト:GLAM |
落合博満野球記念館(おちあいひろみつやきゅうきねんかん)は、和歌山県東牟婁郡太地町にある元プロ野球選手および監督・落合博満の個人記念館[2]。吉野熊野国立公園内に位置する日本初のプロ野球選手個人記念館で[1]、落合の別荘も兼ねている[5]。
改装工事のため、2020年(令和2年)6月20日から休館していた[3]。2023年12月28日から再開[6]。再開後は毎週金曜日・土曜日・日曜日のみ開館。
概要
[編集]1993年(平成5年)11月18日に開館した[注 1][2]。梶取崎から燈明崎に通じる風光明媚な[8]熊野灘が一望できる高台に立地し、記念館は落合の背番号「6」[注 2]と落合家の家紋をイメージした六角形に設計されている[1]。
入場料は2020年(令和2年)1月時点で消費税込み2,000円(一般、中学生以下は同1,000円)[10]と高く、それが影響して普段の客入りは多くないが[注 3][9]、記念館に隣接して建設された自主トレ小屋は別荘として使用され[2]、シーズンオフには落合本人が自ら2階の喫茶店「ベースボールヒーロー」でコーヒーをサービスする場合もある[4]。
歴史・施設
[編集]落合が現役時代、シーズンオフのトレーニングの際[注 4]に家族とともに太地町を訪れた際、温暖で素晴らしい環境に感激した妻・信子が「長男・福嗣のためや自分たちの将来の生活の場」として考え、夫・博満と相談した末に建設を決めた[1]。落合は1991年(平成3年)夏に別荘用地として町内の土地を取得し[13]、約18,000平方メートル(㎡)の敷地に生活もできる自主トレーニング用小屋(鉄骨平屋建て100㎡)+記念館(鉄骨2階建て450㎡)を建設した[1]。
記念館前庭には野球教室を開くことができるミニグラウンドが広がり、1階が展示室(ギャラリースペース)・ビデオシアターになっている[4]。展示室はアマチュア時代から現役時代にかけての記念碑・トロフィー・写真・パネルなどが展示されているほか、読売ジャイアンツ(巨人)時代の1994年に製作した全身ブロンズ像や息子・福嗣の玩具(ガンプラ・恐竜模型など)も展示されている[9]。熊野灘が一望できる2階には喫茶店「ベースボールヒーロー」があるほか[4]、落合の打撃フォームなどを描いた信子夫人の油絵も展示されている[9]。
アクセス
[編集]西日本旅客鉄道(JR西日本)紀勢本線(きのくに線)・太地駅からタクシーで約10分[14]。もしくは太地駅から太地町町営じゅんかんバスに乗車して「平見公園前」バス停留所[注 5]および「落合野球記念館」バス停で下車(乗車時間:約11分 - 20分、「落合野球記念館」バス停は自由乗降バスのみ停車)[16]。
周辺
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 開館当時落合はフリーエージェント(FA)権の行使を宣言して中日からFAとなっており[2]、その2日後(1993年12月20日)に巨人への入団が決まった[7]。
- ^ 落合はロッテオリオンズ時代(1979年 - 1986年)および中日ドラゴンズ時代(1987年 - 1993年)に背番号6を着用していた。またミニグラウンドにも「6」の数字が大きく描かれている[9]。
- ^ 地元のタクシー運転手は2004年に『AERA』記者・福井洋平の取材に対し「入場料を見て入館を諦め、記念撮影だけして帰る人がほとんど」と述べている[9]。
- ^ 『中日新聞』1992年11月28日朝刊記事では「今から6年前」[1]、『朝日新聞』2004年10月3日朝刊記事では「中日時代・1987年シーズンオフ」となっているほか[11]、『AERA』2004年10月14日号では記者・福井洋平の取材に応じた太地町議・坂野日出夫が「(落合が所属していた)中日がセ・リーグ優勝を果たした1988年のオフに自主トレで訪れたことがきっかけと聞いている」と述べている[9]。妻・信子は「夫が中日時代のシーズンオフ、自分と生後2か月の福嗣(1987年8月20日生まれ)を誘って訪れた」と述べている[12]。
- ^ 2002年時点で最寄りバス停は「平見公園前」バス停(旧:奈良交通バス)[15]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f 『中日新聞』1992年11月28日朝刊第一運動スポーツ面27頁「脱衣室」(中日新聞社)
- ^ a b c d e 『中日新聞』1993年12月18日朝刊第一運動スポーツ面21頁「脱衣室」(中日新聞社)
- ^ a b 落合福嗣 [@fukushi_o] (2020年6月15日). "※落合博満野球記念館より改装工事休館のお知らせ". 2021年2月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。X(旧Twitter)より2021年2月11日閲覧。
- ^ a b c d 南紀くろしお商工会.
- ^ 「落合氏、松井氏、イチロー、松坂らも開館」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2013年1月6日。オリジナルの2020年1月16日時点におけるアーカイブ。2020年1月17日閲覧。
- ^ 【公式】落合博満のオレ流チャンネル (2023-12-08), 【記念館オープン】お正月は落合博満に会おう! 2024年7月15日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』1993年12月21日東京朝刊第一スポーツ面25頁「不惑の意地に巨人期待 『8億円』落合-チーム内の波風=?」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』2003年2月2日東京朝刊別刷面52頁「太地・和歌山県 C・W・ニコル be・TRAVEL特集」(朝日新聞東京本社)
- ^ a b c d e f 福井洋平(編集部)「イチロー、落合、松井3人の隠れた素顔 野球記念館で再発見」『AERA』第17巻第46号、朝日新聞社出版本部、2004年10月18日、28頁。(通号:888号・2004年10月18日号)
- ^ 太地町観光協会.
- ^ 『朝日新聞』2004年10月3日大阪朝刊和歌山県版和歌山第一地方面「オレ竜Vセール始まる 中日リーグ優勝で落合記念館 /和歌山」(朝日新聞大阪本社・和歌山支局)
- ^ 『朝日新聞』2015年5月10日名古屋朝刊3面3頁「(落合信子さんのワタクシ流のお・は・な・し)落合の記念館、自然と共存 朝日プラス・シー」(朝日新聞名古屋本社)
- ^ 『中日新聞』1992年1月17日朝刊第二運動スポーツ面26頁「落合、伊豆入り 主砲いよいよ始動」
- ^ びっくりデータ情報部 編「落合博満野球記念館」『遊園地より楽しめるびっくり博物館 週末のヒマつぶしは、ここで決まり!』(電子書籍版)河出書房新社〈KAWADE夢文庫〉、2003年7月15日。
- ^ ブルーガイドニッポン編集部 編『南紀・和歌山』 30巻(第3改訂版発行)、実業之日本社〈ブルーガイドニッポン〉、2002年8月20日、84-85頁。
- ^ “太地町町営じゅんかんバス時刻表 令和元年11月1日改正” (PDF). 太地町 (2019年11月1日). 2020年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月18日閲覧。