落合正義
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個人情報 | |
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国籍 | 日本 |
生誕 | 1910年6月3日 日本 島根県 |
死去 | 1939年12月30日(29歳没) 中華民国 河南省 |
スポーツ | |
競技 | 陸上競技 |
種目 | ハンマー投 |
落合 正義(おちあい まさよし、1910年6月3日 - 1939年12月30日[1])は、日本の陸上競技選手。
経歴
[編集]現在の島根県安来市広瀬町生まれ[2]。浪華商業学校(現在の大阪体育大学浪商中学校・高等学校)卒業[3]、明治大学に進む[4]。
1932年の日本陸上競技選手権大会の男子ハンマー投で優勝[5]。1932年ロサンゼルスオリンピックに出場し、男子ハンマー投げで12位[4]。ロス五輪で同じくハンマー投げ代表選手の長尾雄治も明治大学の学生で、古山一郎とともに「明大のハンマートリオ」と呼ばれていたという[6]
明治大学卒業後は、名古屋市で運動公園管理者として働く[2]。1938年9月、松江の歩兵第63連隊に入隊[2]。日中戦争が勃発すると第110師団衛生隊陸軍上等兵として北支へ出征[1]。1939年12月に河南省で戦死した[4][7]。29歳没[2]。
脚注
[編集]- ^ a b 曾根 2020, 9-10頁.
- ^ a b c d “戦没オリンピアンをよみがえらせたい 人柄に魅せられ”. 朝日新聞. (2020年12月22日) 2021年3月19日閲覧。
- ^ 「オリンピック派遣陸上代表選手」『日伯新聞』1932年8月11日、4面。2021年3月15日閲覧。
- ^ a b c 卜部匡司, 曾根幹子「日本人戦没オリンピアン名をめぐる混乱とその真相 : ベルリンに届けられた大島鎌吉の作成名簿更新の試み」『広島国際研究』第22巻、広島市立大学国際学部、2016年11月、117-130頁、CRID 1050015111530412928、ISSN 1341-3546。
- ^ 男子ハンマー投 過去の優勝者・記録|第98回日本陸上競技選手権大会
- ^ “激変の時代 昭和2年(1927年)~昭和21年(1946年)”. 競走部の歴史. 明治大学競走部. 2020年2月26日閲覧。
- ^ “Olympians Who Were Killed or Missing in Action or Died as a Result of War”. Sports Reference. 24 July 2018閲覧。
参考文献
[編集]- 曾根幹子「「戦没オリンピアン」をめぐる調査と課題 ―広島県出身選手を事例に―」『広島市公文書館紀要』第32号、2020年、1-13頁。
- 表1 日本人戦没オリンピアン(2020年1月末日現在)(pp.9-10)