長尾雄治
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選手情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
競技 | 投擲競技 | |||
種目 | ハンマー投 | |||
大学 | 明治大学 | |||
生年月日 | 1907年5月27日[1][注釈 1] | |||
出身地 | 北海道小樽市[注釈 2] | |||
自己ベスト | ||||
ハンマー投 | 48.36m(1932年)[1] | |||
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長尾 雄治(ながお ゆうじ、1907年5月27日 - 生没不明)は、日本の陸上競技選手。専門はハンマー投。明治大学在学中に1932年ロサンゼルスオリンピックに出場した[3]。
経歴
[編集]『日本スポーツ人名辞典 昭和8年版』によれば北海道小樽市生まれ[2][注釈 2]。オリンピック出場時の『日伯新聞』によれば「小樽商出」(で明治大学在籍)とある[5][注釈 3]。
明治大学に入学。1927年(昭和2年)、日本陸上競技選手権大会ハンマー投で優勝[6]。以後、1930年・1931年と日本選手権を制した[6]。明治大学競走部に属する長尾雄治・落合正義・古山一郎はハンマー投で競い合い「明治大学のハンマートリオ」と呼ばれたという[6]。
1932年(昭和7年)、明治大学競走部主将[2]。1932年(昭和7年)4月29日、関東選手権で47.58mの日本記録を出した。この記録は翌月落合正義に塗り替えられたが、6月18日の四大学対抗戦で48.36mを投擲、再度日本記録を更新した[7]。1932年、ロサンゼルスオリンピックに男子ハンマー投げで出場、10位。1933年(昭和8年)、明治大学を卒業[2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『日本スポーツ人名辞典 昭和8年版』によれば、生年月日は1907年(明治40年)5月23日[2]。
- ^ a b 『日本スポーツ人名辞典 昭和8年版』によれば、「生地」は小樽市砂留町とある[2]。1932年に長尾が記録したハンマー投の48.36mは、2020年末現在も「小樽後志記録」として残っている[4]。Sports Reference などのデータベースによれば青森県青森市出身とあるが[1]、青森県公式サイトの「オリンピック競技大会 青森県関係出場選手一覧」に長尾は入っていない。
- ^ 当時「小樽商」と略され得る学校には北海道庁立小樽商業学校(戦後の北海道小樽商業高等学校、2020年閉校)がある。『日本スポーツ人名辞典 昭和8年版』によれば小樽高商(小樽高等商業学校、現在の小樽商科大学)とある[2]。
出典
[編集]- ^ a b c “Yuji Nagao Olympic Results”. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月18日閲覧。
- ^ a b c d e f 日本スポーツ協会(編)『日本スポーツ人名辞典 昭和8年版』日本スポーツ協会、1933年、14頁 。2021年8月18日閲覧。(国会図書館デジタルライブラリ)
- ^ 中澤 2010, 41頁.
- ^ “小樽後志記録【令和2年(2020年)末】”. 小樽後志陸上競技協会 (2020年12月). 2021年8月20日閲覧。
- ^ 「オリンピック派遣陸上代表選手」『日伯新聞』1932年8月11日、4面。2021年3月15日閲覧。
- ^ a b c “競走部の歴史 激変の時代 昭和2年(1927年)~昭和21年(1946年)”. 明治大学体育会競走部. 2021年8月20日閲覧。
- ^ “日本学生記録の変遷 男子ハンマー投”. 日本学生陸上競技連合. 2021年8月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 中澤篤史「オリンピック日本代表選手団における学生選手に関する資料検討」『一橋スポーツ研究』第29巻、2010年、37-48頁。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 日本代表選手団 記録検索:「長尾、雄治」の検索結果 - 日本オリンピック委員会