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葉村彰子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

葉村 彰子(はむら しょうこ)は、『水戸黄門』『大岡越前』『江戸を斬る』など、TBS月曜8時の時代劇シリーズの原案者(原作者)・脚本家としてクレジットされていた共同ペンネームである。ドラマのノベライズ作品でこの筆名が使用されている場合があるほか、現代劇のテレビドラマでも同名義でクレジットされている作品が数作品存在する。

概要

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中心は逸見稔、監修は植木昌一郎のもとで構成された創作集団。

当時、映画出身の作家に対しテレビラジオ出身の作家の待遇が悪く、その待遇改善のため、1970年向田邦子松木ひろし窪田篤人津田幸夫によって作家集団SHPを作る。 さらに大西信行櫻井康裕田口耕三柴英三郎が参加。やがて加藤泰山内鉄也(映画監督)・岡田裕介(元俳優・東映プロデューサー)も参加し、吉田隆伊上勝も加わる[1]

ペンネームは同じTBS月曜8時枠の、布施明主演のドラマ『S・Hは恋のイニシァル』にちなんでいる。基本的には逸見稔の考えたプロットの方向性に沿って、その方面が最も得意な作家がだいたいのところを書き、中心メンバーが微調整をする形で制作は行われていたという。この名前自体は、1970年の『大岡越前 第1部』が初出とみられる。同年制作の『水戸黄門 第2部』第4話では、「脚本 葉村彰子」とクレジットされていることが、C.A.Lの『水戸黄門』ホームページで明らかになっている。

「葉村彰子」の製作する脚本には定評があり、また安定感もある。『水戸黄門』や『大岡越前』ではシリーズごとに、初回や最終話に加え、それ以外の放送回でも「原案 脚本 葉村彰子」として、充実した作品を提供している。下記の実在する脚本家らと連名で、「脚本」担当としてクレジットされることもあった。

1971年から1972年にかけては、東映制作・フジテレビ放送の『清水次郎長』や『お祭り銀次捕物帳』などでもその名が見られるようになるなど、活動が早くも活発化していた。

水戸黄門第22部・第23部・第24部 』、『水戸黄門外伝 かげろう忍法帖』、『江戸を斬る 梓右近隠密帳 - 江戸を斬るIV江戸を斬るVIII』では「原作 葉村彰子」とクレジットされていた。また、『水戸黄門外伝 かげろう忍法帖』ではすべての放送回の原作・脚本を担当した。

逸見の死後は原案者としてのクレジットにとどまることが多くなり、この名義で脚本が作られたのは『水戸黄門 第27部』第29話などごくわずかであった。2000年の『水戸黄門』の大幅なリニューアルに伴い、葉村彰子の名前自体が月曜8時枠から消えた。ほかには、里見浩太朗が主演の『一色京太郎シリーズ』(1995年 - 1998年)などの2時間ドラマで、原案や脚本として名前がクレジットされることがあった。なお、『水戸黄門』は第29部から最終シリーズの第43部最終話(第21話)まで、逸見の設立した会社である「オフィス・ヘンミ」が制作協力としてクレジット[注 1]されているものの、葉村彰子としてどのような形で番組制作にかかわっていたかは不明である。

代表的な作品

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映画

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テレビドラマ

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著書

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脚注

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注釈

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  1. ^ 制作協力自体は第11部からで、第28部まではクレジットはなかった。
  2. ^ 原案表記は第10部から
  3. ^ 原案表記は第6部から

出典

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  1. ^ 『黄門様はテレビ好き』(近代映画社・1993年11月)ISBN 4764817276