葉蓬
葉蓬 | |
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『最新支那要人伝』(1941年) | |
プロフィール | |
出生: | 1897年(清光緒23年) |
死去: |
1947年(民国36年)9月18日 中華民国南京市 |
出身地: | 清湖北省漢陽府黄陂県 |
職業: | 軍人 |
各種表記 | |
繁体字: | 葉蓬 |
簡体字: | 叶蓬 |
拼音: | Yè Péng |
ラテン字: | Yeh P'eng |
和名表記: | よう ほう |
発音転記: | イェー ポン |
葉 蓬(よう ほう)は、中華民国の軍人。南京国民政府(汪兆銘政権)の要人である。号は孛孛、一忠。
事跡
[編集]1917年(民国6年)、保定陸軍軍官学校に入学する。1919年(民国8年)、砲兵科第6期で卒業した。
1930年(民国19年)、武漢警備司令部少将参謀長に昇進している。1932年(民国21年)、湖北警備旅長兼武漢警備司令に就任した。1934年(民国23年)4月、武漢市公安局局長を兼任している。翌年10月、南京に異動して、中華民族復興社に加入し、国民政府鉄道部鉄道隊警察総局局長に任命された。しかし、張群暗殺を謀ったとして、まもなく罷免された。1936年(民国25年)3月、陸軍中将に昇進した。
1939年(民国28年)8月、汪兆銘(汪精衛)に合流して、その下で中国国民党中央委員に任命された。上海で中央陸軍訓練団教育長に任ぜられ、年末には武漢綏靖公署上将主任となる。翌年3月、正式に南京国民政府が成立すると、中央政治委員会委員と軍事委員会委員を兼任した。8月、中央陸軍軍官学校武漢分校教育長に任命されている。1941年(民国29年)11月、陸軍第29師師長を兼任した。
翌年6月、軍事委員会参謀本部参謀総長に任ぜられ、8月には陸軍編練監督にもなる。1943年(民国32年)1月、最高国防会議委員となる。4月、陸軍部部長に任ぜられた。1945年(民国34年)3月、湖北省省長と武漢綏靖主任公署主任を兼ねる。さらに新国民運動促進委員会委員となった。
日本敗北後の8月、一旦は蔣介石に再任用され、国民政府軍事委員会第7路軍総指揮となっている。しかし10月に、結局は漢奸として逮捕されてしまった。
1947年(民国36年)9月18日、葉蓬は、南京で処刑された。享年51。
参考文献
[編集]- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
南京国民政府(汪兆銘政権)
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