葛巻城
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葛巻城 (岩手県) | |
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別名 | 八幡館、鏡沢館、葛巻館 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 葛巻氏? |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 葛巻氏? |
廃城年 | 1592年(天正20年) |
遺構 | 曲輪、堀 |
指定文化財 | 史跡等未指定[1] |
位置 | 北緯40度02分24.2秒 東経141度26分04.0秒 / 北緯40.040056度 東経141.434444度座標: 北緯40度02分24.2秒 東経141度26分04.0秒 / 北緯40.040056度 東経141.434444度 |
地図 |
葛巻城(くずまきじょう)は、岩手県岩手郡葛巻町田子にあった日本の城。
沿革
[編集]葛巻城は、現在は馬淵川北岸の八幡館(城山・館山)跡と鏡沢館跡・葛巻館跡の3館を一括した呼称となっているが、本来3館で一体の城館だったのか、それぞれ独立したものだったのか、明らかになっていない[2]。
築城時期は不明。城主の葛巻氏は工藤氏の一族と伝えられており、『奥南落穂集』によると、文治5年(1189年)に岩手郡地頭職を賜わった工藤行光の分流が、応仁年間(1467 - 68年)に葛巻村に住したものといわれる。
葛巻の地は内陸部と海岸部とを結ぶ宿駅の所在地にあたり、葛巻氏はその管理と地頭職とを世襲してきたものと考えられている。
天正20年(1592年)の『諸城破却書上』には「糠部郡之内 葛巻 山城 破 工藤 掃部助 持分」とあり、破却された。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 児玉幸多、坪井清足『日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田』新人物往来社、1980年7月15日。
- 岩手県教育委員会『岩手県中世城館跡分布調査報告書』 82巻、1986年3月30日、98頁 。