藤代町
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ふじしろまち 藤代町 | |||
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廃止日 | 2005年(平成17年)3月28日[1] | ||
廃止理由 |
編入合併 藤代町 → 取手市[1] | ||
現在の自治体 | 取手市[1] | ||
廃止時点のデータ | |||
国 | 日本 | ||
地方 | 関東地方 | ||
都道府県 | 茨城県 | ||
郡 | 北相馬郡 | ||
市町村コード | 08563-4 | ||
面積 | 32.87 km2 | ||
総人口 |
32,771人 (推計人口、2005年3月1日) | ||
隣接自治体 | 龍ケ崎市、取手市、筑波郡伊奈町 | ||
町の木 | ゲッケイジュ | ||
町の花 | フジ | ||
町の鳥 | カワセミ | ||
藤代町役場 | |||
所在地 |
〒300-1592 茨城県北相馬郡藤代町藤代700 | ||
外部リンク | 藤代町(Internet Archive) | ||
座標 | 北緯35度55分18秒 東経140度06分41秒 / 北緯35.92153度 東経140.11144度座標: 北緯35度55分18秒 東経140度06分41秒 / 北緯35.92153度 東経140.11144度 | ||
ウィキプロジェクト |
藤代町(ふじしろまち)は、茨城県南部に位置する北相馬郡に属していた町。東京都市圏#茨城県(東京通勤圏)。
役場は大字藤代(旧相馬町)。
町の中心部をJR常磐線と国道6号という二つの大動脈が貫いている。その常磐線にJR藤代駅がある。
歴史
[編集]- 江戸時代は相馬領二万石と言われた農村地帯。水戸街道(陸前浜街道)の宿場町藤代宿を中心に栄えた。
- 1955年(昭和30年)2月21日 - 北相馬郡相馬町、山王村、六郷村、高須村の一部、筑波郡久賀村の一部が合併して成立。(高須村の残部は龍ケ崎市へ、久賀村の残部は筑波郡伊奈村(現つくばみらい市)へそれぞれ編入)。町名の由来は藤代宿からである。
- 1965年(昭和40年)10月31日 - 合併10周年事業として町章を制定。
- 1977年(昭和52年)10月31日 - 町役場庁舎を新築移転。移転前は現在の藤代公民館の場所にあり、そこはもともと藤代本陣のあった場所である。
- 1980年(昭和55年)8月1日 - 合併25周年記念事業が行われ、町花(フジ)と町木(月桂樹)を制定。
- 1981年(昭和56年)8月24日 - 台風15号の影響により小貝川が決壊、町内の広範囲で被害を受けた。
- 1990年(平成2年)5月1日 - 町役場庁舎を新築移転(現在の取手市役所藤代庁舎)。
- 2005年(平成17年)3月28日 - 隣接する取手市に編入され消滅した[1]。
旧相馬町と相馬市
[編集]- 旧相馬町は旧藤代宿と旧宮和田宿が中心になって成立。どちらの宿場名も採用せず、古くからこの辺りの地域名となっていて郡名(相馬郡)にもなっている「相馬」を採用した。
- 福島県相馬市は1954年(昭和29年)3月31日に相馬郡中村町を中心に成立。この2つの「相馬」は縁が深く、相馬氏が関連している。
教育施設
[編集]高等学校
[編集]中学校
[編集]- 藤代町立藤代中学校
- 藤代町立藤代南中学校
- 私立聖徳大学附属聖徳中学校
小学校
[編集]- 藤代町立藤代小学校
- 藤代町立宮和田小学校
- 藤代町立山王小学校
- 藤代町立久賀小学校
- 藤代町立六郷小学校
- 藤代町立桜が丘小学校
- 藤代町立高須小学校(廃校)
姉妹都市
[編集]名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事・施設
[編集]- 小貝川フラワーカナル
- 岡堰
関連する人物
[編集]- 酒詰治左衛門(町域の開発に貢献。現在も地名に「酒詰」の名が残る)
- 高野素十(俳人。旧山王村出身)
- 吉田豊(日本中央競馬会所属の騎手。当町出身)
- 吉田隼人(日本中央競馬会所属の騎手。当町出身)
- 輪湖直樹(プロサッカー選手。アビスパ福岡所属。当町出身)
- 美馬学(プロ野球選手。千葉ロッテマリーンズ所属。当町出身)
- 永田春水(日本画家。旧相馬町出身)
- 小山拓志 (地理学者。国士舘大学准教授。当町出身)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 1995年藤代町町勢要覧(合併40周年記念)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 藤代町ホームページ(2005/06/27アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- 取手市・藤代町合併協議会