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藤原世嗣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤原 世嗣
時代 平安時代初期
生誕 宝亀10年(779年
死没 天長8年3月11日831年4月26日
別名 世継
官位 従四位上伊勢守
主君 桓武天皇平城天皇嵯峨天皇淳和天皇
氏族 藤原式家
父母 父:藤原種継
兄弟 仲成縵麻呂山人、藤生、井出湯守、世嗣安継?、薬子、東子
不詳
永峯
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藤原 世嗣(ふじわら の よつぐ)は、平安時代初期の貴族。名は世継とも記される。藤原式家中納言藤原種継の四男。官位従四位上伊勢守

経歴

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桓武朝延暦19年(800年正六位下から二階昇進して従五位下叙爵し、大学頭に任ぜられる。平城朝から嵯峨朝にかけて侍従を務める傍ら、宮内卿右少弁下総介の諸官を兼ね、この間の弘仁3年(812年)従五位上に叙せられている。

弘仁12年(821年正五位下天長3年(826年従四位下と嵯峨朝末から淳和朝にかけて順調に昇進する。のち、伊勢守として地方官に転じ、天長8年(831年)正月には従四位上に至るが、同年3月11日卒去享年53。

人物

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若い頃から物事を幅広く学び、鋭意精進した。自分に優れた才能に欠ける事を知り、目下の者に物事を尋ねるのを恥じなかった。人々に恭しく謹み深く接し、常にそれを忘れなかった。伊勢国司を務めたが、毀誉褒貶はなかった。

兄の訃報に接して百里の道のりを駆けつけるが、1ヶ月も経過しないうちに、後を追うように没したという[1]

官歴

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日本後紀』による。

系譜

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  • 父:藤原種継(737-785)
  • 母:不詳
  • 生母不明の子女
    • 男子:藤原永峯

脚注

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  1. ^ 日本後紀』天長8年3月11日条

出典

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