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藤原定任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤原定任
時代 平安時代中期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 従四位下大和守
氏族 藤原北家山蔭
父母 父:藤原為盛、母:不詳
兄弟 頼成定任親国宗盛清仲清綱勢好源経相
中村実宗藤原章家、覚暹、頼緑、範緑、廉慶
特記
事項
因幡守時盛(または時成)の娘
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藤原 定任(ふじわら の さだとう)は、平安時代中期から後期にかけての貴族藤原北家山蔭流、越前守藤原為盛の子。官位従四位上大和守

経歴

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蔵人所雑色を経て、寛仁4年(1020年春宮敦良親王の昇殿を許される。後朱雀朝の長久元年(1040年伊賀守の官職にあったが、筑前守菅野敦頼が伊賀守と官職を交換することを求め、定任は筑前守に遷ったか。

白河朝永保元年(1081年)9月9日に大和守在職中に出家

官歴

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系譜

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尊卑分脈』による。

  • 父:藤原為盛
  • 母:不詳
  • 妻:因幡守時盛(または時成)の娘
  • 生母不詳の子女
    • 男子:覚暹(仁和寺の僧)
    • 男子:頼緑
    • 男子:範緑
    • 男子:廉慶(延暦寺の僧)

参考文献

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脚注

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  1. ^ 『御堂関白記』
  2. ^ 『左経記』
  3. ^ 『春記』
  4. ^ 『尊卑分脈』
  5. ^ 寛政重修諸家譜
  6. ^ 『水左記』

関連項目

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