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藤原家時 (小一条流)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤原 家時(ふじわら の いえとき、生年不詳 - 嘉禎2年(1236年)1月)は、鎌倉時代公家藤原北家小一条流、宮内大輔・藤原親綱の長男。官位正三位越前守

経歴

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後白河院政期末の建久元年(1190年従五位下叙爵し、建久9年(1198年出雲守に任官。承元3年(1209年斎院長官少納言に任ぜられると、建保5年(1217年中務大輔後鳥羽院政期の後半に京官を務めた。

承久元年(1219年越前守として地方官に遷り、翌承久2年(1220年従四位下に叙せられる。承久3年(1221年)6月に発生した承久の乱後は、同年11月に従四位上、貞応元年(1222年正四位下と順調に昇進し、嘉禄元年(1225年)には従三位に叙せられ、小一条流としては平安時代中期の藤原師成以来約150年ぶりに公卿に列した。公卿昇進後は散位であったが、安貞2年(1228年正三位に昇叙されている。

貞永元年(1232年)病気のため出家、法名は蓮家。嘉禎2年(1236年)正月に薨去

官歴

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公卿補任』による。

系譜

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尊卑分脈』による。

  • 父:藤原親綱
  • 母:経尊の娘
  • 妻:藤原信雅の娘
  • 生母不詳の子女
    • 男子:藤原貞時
    • 男子:藤原朝時
    • 男子:藤原師平 - 子孫は姉小路家
    • 女子:

脚注

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参考文献

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