藤原家頼
表示
時代 | 平安時代後期 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
別名 | 基家、願蓮房 |
官位 | 従五位上、兵部権大輔 |
主君 | 鳥羽上皇 |
氏族 | 藤原北家中関白家 |
父母 | 父:藤原忠隆、母:藤原公子(藤原顕頼の娘) |
兄弟 | 隆教、基成、信頼、家頼、信説、近衛基実室、俊成、信家、尋忠、藤原隆季室 |
藤原 家頼(ふじわら の いえより)は、平安時代後期の貴族。藤原北家中関白家、従三位・藤原忠隆の五男。官位は兵部権大輔。『平治物語』には「基家」の名で登場する。
経歴
[編集]久安5年(1149年)に父が大蔵卿を辞任したのと引き換えに長門守に就任。代表的な院近臣家の出身ながら、摂関家の家司をも務めた。しかし、平治元年(1159年)同母兄・信頼が引き起こした平治の乱において、信頼に連座する形で解官。これによって出家し、願蓮房と称して大原に隠棲した。
後年九条兼実の帰依を受けて十善戒を授けたことが『玉葉』に記録されている。
官歴
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 宮崎康充編『国司補任 第五』続群書類従完成会、1990年