藤原康二
基本情報 | |
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本名 | 藤原 康二 |
階級 |
フライ級 スーパーフライ級 |
身長 | 170cm |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1976年1月13日(48歳) |
出身地 | 大阪府堺市 |
スタイル | サウスポー |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 26 |
勝ち | 21 |
KO勝ち | 16 |
敗け | 4 |
引き分け | 1 |
藤原 康二(ふじわら こうじ、1976年1月13日 - )は、日本のプロボクサー。グリーンツダボクシングクラブ所属。大阪府堺市出身。堺市立深井中学校卒業。
長身の左ボクサーファイターで、切れ味鋭い左ストレートと右フックで高いKO率を誇った天才肌のスラッガー[1]。
実績
[編集]来歴
[編集]1991年に鳳商業高等専修学校のボクシング部でボクシングを始めるが、同校を12月で中退。翌年1月にグリーンツダボクシングクラブに入門。
1993年6月21日、大阪府立体育会館にて、三階級制覇を目指す井岡弘樹(グリーンツダ)のWBA世界フライ級タイトルマッチの前座でプロデビュー戦を2RKO勝利。
1994年7月31日、デビューから5連続KO勝ちで、6戦目に後のWBA世界スーパーフライ級王者となる戸高秀樹(宮崎ワールド)と対戦し、1R終了間際に戸高の放った2発のパンチで2度倒れ、1RKOで敗れる。
その後は、元WBC世界ストロー級チャンピオンのナパ・キャットワンチャイ(タイ)を含む、国内外の選手を相手に15連勝を飾る。
1997年には、ランキング1位の指名挑戦者として、王者のスズキ・カバト(新日本大阪)と日本フライ級のチャンピオンカーニバルで対戦する予定であったが、体調不良により欠場する。その代役に当時グリーンツダ所属の同門であった徳山昌守(金沢)が急遽出場した。それを機にフライ級からスーパーフライ級に転級[2]。
2000年4月20日、大阪府立体育会館でOPBF東洋太平洋スーパーフライ級タイトルマッチの前哨戦として、比国フライ級王者のユージン・ゴンザレス(フィリピン)と対戦。6Rに強烈な右ストレートを浴びてKO負け。
同年10月2日、比国ランカーのアルフラン・ブララ(フィリピン)を相手に再起戦を判定勝ちで飾る。
2001年4月24日、後の日本スーパーフライ級王者、田中聖二(金沢)と対戦するも、相手のアウトボクシングに苦戦を強いられて、判定1-0(78-76、77-77、76-76)の引き分け。
同年11月23日、7ヶ月ぶりに名古屋のホープ、小縣新(松田)と対戦、一度は左ストレートでぐらつかす場面もあったが、中盤から後半にかけてスタミナ切れで失速し、判定0-3(94-98、93-98、94-97)の大差で敗れる。その後、ボクシング界から姿を消す。
2006年12月1日、小縣戦から約5年ぶりにカムバック試合を敵地タイ国ノンタブリーにて、元WBC世界バンタム級チャンピオンのウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)と拳を交える。2R以降、ウィラポンの徹底したボディ攻めに遭い、3RTKOで敢え無く敗退。
結局、タイトルマッチは一度も実現することなく、この試合を最後に引退した。
戦績
[編集]プロボクシング:26戦21勝(16KO)4敗1分
戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 | |
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1 | 1993年6月21日 | 勝利 | 2R | KO | 瀧正太郎 (フォーラムS) | 日本 | プロデビュー戦 | |
2 | 1993年11月8日 | 勝利 | 4R | KO | 大西久一 (陽光アダチ) | 日本 | ||
3 | 1994年1月31日 | 勝利 | 3R | TKO | 富内徹和(JM加古川) | 日本 | ||
4 | 1994年3月21日 | 勝利 | 1R | KO | 五嶋敏郎 (松田) | 日本 | ||
5 | 1994年4月13日 | 勝利 | 2R | KO | 西山知広 (岡崎) | 日本 | ||
6 | 1994年7月31日 | 敗北 | 1R | KO | 戸高秀樹 (宮崎W) | 日本 | ||
7 | 1995年1月10日 | 勝利 | 6R | 判定 | ジョジョ・トーレス | フィリピン | ||
8 | 1995年4月23日 | 勝利 | 1R | TKO | クリス・カルボニリャ | フィリピン | ||
9 | 1995年7月3日 | 勝利 | 6R | 判定 | ジョエル・ニセー | フィリピン | ||
10 | 1995年9月4日 | 勝利 | 2R | KO | ジョナサン・ジェームス | フィリピン | ||
11 | 1995年11月14日 | 勝利 | 1R | KO | ラウル・カバト | フィリピン | ||
12 | 1995年12月23日 | 勝利 | 4R | KO | ジュン・タバロス | フィリピン | ||
13 | 1996年6月3日 | 勝利 | 6R | 判定 | リッキー・ガヤモ | フィリピン | ||
14 | 1996年8月25日 | 勝利 | 3R | KO | ジュプリ・カニエラ | フィリピン | ||
15 | 1997年1月21日 | 勝利 | 1R | KO | ペノイ・モンテホ | フィリピン | ||
16 | 1997年6月30日 | 勝利 | 1R | KO | ラウル・カバト | フィリピン | ||
17 | 1997年8月27日 | 勝利 | 4R | TKO | 平山謙一(久留米櫛間) | 日本 | ||
18 | 1997年12月15日 | 勝利 | 5R | KO | ローランド・バクラヨ | フィリピン | ||
19 | 1998年11月9日 | 勝利 | 10R | 判定 | 延山丈二(新日本大阪) | 日本 | ||
20 | 1999年5月20日 | 勝利 | 4R | KO | ギャット・セーンモラコット | タイ | ||
21 | 1999年10月21日 | 勝利 | 6R | TKO | ナパ・キャットワンチャイ | タイ | ||
22 | 2000年4月20日 | 敗北 | 6R | KO | ユージン・ゴンザレス | フィリピン | style="text-align:left" | OPBF東洋太平洋スーパーフライ級タイトルマッチ前哨戦 |
23 | 2000年10月2日 | 勝利 | 10R | 判定 | アルフラン・ブララ | フィリピン | ||
24 | 2001年4月24日 | 引分 | 8R | 判定 | 田中聖二(金沢) | 日本 | ||
25 | 2001年11月23日 | 敗北 | 10R | 判定 | 小縣新(松田) | 日本 | ||
26 | 2006年12月1日 | 敗北 | 3R | TKO | ウィラポン・ナコンルアンプロモーション | タイ | style="text-align:left" | カムバック戦 |
テンプレート |
脚注
[編集]- ^ “ボクシング栄光のタイトルマッチ60年史(第2号)32頁参照”. 2012年2月25日閲覧。
- ^ 『ボクシング栄光のタイトルマッチ60年史 第2号 32頁』ベースボール・マガジン社(分冊百科シリーズ)2011年9月14日発売
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 藤原康二 | Facebook
- 藤原康二 - らんぶるライフ - ウェイバックマシン(2019年11月1日アーカイブ分)
- 藤原康二の戦績 - BoxRec
- グリーンツダボクシングクラブ公式サイト
- ウィラポン戦1R - 2R
- ウィラポン戦2R - 3R