藤原忠基 (鎌倉時代)
表示
時代 | 鎌倉時代 |
---|---|
生誕 | 寛喜2年(1230年) |
死没 | 弘長3年2月5日(1263年3月15日) |
官位 | 従二位参議右衛門督 |
主君 | 後堀河天皇→四条天皇→後嵯峨天皇→後深草天皇→亀山天皇 |
氏族 | 藤原北家摂関家相続流九条家支流 |
父母 |
父:藤原高実 母:藤原経通女 |
兄弟 | 忠基、良珍、厳慧 |
妻 | 不明 |
子 | 円雄、信助、藤原清憲、実玄、昭算、藤原良澄、求道 |
藤原 忠基(ふじわら の ただもと)は、鎌倉時代の公卿。従二位参議右衛門督。父は権大納言藤原高実、母は藤原経通女。
太政大臣に至った九条良平から始まる九条家支流の3代目であるが、忠基以降は公卿を輩出できなかった。
経歴
[編集]以下、『公卿補任』及び『尊卑文脈』の内容に従って記述する。
- 宝治元年(1247年)1月5日、従三位に叙せられる。同日、右中将は元の如し[1]。
- 宝治2年(1248年)1月23日、播磨権守を兼ねる。同年8月2日、父高実の喪に服す。
- 建長3年(1251年)1月5日、正三位に昇叙。
- 弘長2年(1262年)1月26日、参議に任ぜられる。同日、右中将を兼ねる。同年3月29日、従二位に昇叙[2]。同年7月16日、右衛門督の兼任に遷る。また検非違使別当に補されるが同月に検非違使別当を辞す[3]。同年12月21日、所労により出仕していないため参議右衛門督を辞す。
- 弘長3年(1263年)2月3日、出家。同月5日、薨去。享年34。