藤原忠綱 (御堂流)
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時代 | 平安時代中期 - 後期 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 応徳元年(1084年) |
官位 | 正四位下、近江守 |
主君 | 後三条天皇→白河天皇 |
氏族 | 藤原北家御堂流 |
父母 |
父:藤原頼通、母:藤原祇子(藤原頼成の娘) 養父:藤原信家 |
兄弟 |
通房、橘俊綱、覚円、定綱、忠綱、寛子(後冷泉天皇皇后)、師実 養兄弟:嫄子(敦康親王長女)、 源俊房・仁覚(源師房長男・三男)、 信家(藤原教通長男) |
妻 | 藤原範永の娘 |
子 | 長兼、基兼、真覚 |
藤原 忠綱(ふじわら の ただつな)は、平安時代中期から後期にかけての貴族。藤原北家、関白・藤原頼通の五男。官位は正四位下・近江守。
頼通の正室・隆姫女王への配慮により、従兄に当たる大納言・藤原信家の養子とされる。近江守・春宮亮を歴任した。
官歴
[編集]- 時期不詳:但馬守[1]
- 治暦3年(1067年) 10月17日:従四位下[1]
- 延久4年(1072年) 日付不詳:常陸介[2]
- 永保元年(1081年) 10月7日:見近江守[3]
- 応徳元年(1084年) 日付不詳:卒去
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。