源懿子 (後白河天皇妃)
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(藤原懿子から転送)
源 懿子 | |
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第78代天皇母 | |
皇太后 | (追贈)保元3年12月29日(1159年1月20日) |
誕生 | 永久4年(1116年) |
死去 |
康治2年6月24日(1143年8月6日) |
諱 | 懿子 |
氏族 |
藤原氏(北家・御堂流大炊御門家) 養:後三条源氏 |
父親 |
藤原経実 養父:源有仁 |
母親 | 藤原公子(藤原公実の娘) |
配偶者 | 雅仁親王(後の後白河天皇) |
結婚 | 保延5年(1139年)頃 |
子女 | 二条天皇 |
立后前位階 | 贈従二位 |
源 懿子(みなもと の いし/よしこ、永久4年(1116年) - 康治2年6月24日(1143年8月6日))は、後白河天皇親王時の妃、二条天皇生母。贈皇太后。父は藤原経実、母は藤原公子(藤原公実の娘)。源有仁の養女。
生涯
[編集]母の妹が源有仁の室であった関係で、源有仁の養女として育てられた。保延5年(1139年)の雅仁親王(のちの後白河天皇)の元服の頃、妃となったとみられる。当時、雅仁親王は13歳、懿子は24歳で、懿子の方が11歳年長であった。康治2年(1143年)6月17日、三条高倉第において守仁親王(のちの二条天皇)を産むが、疱瘡を患い、同月24日に28歳で薨去。雅仁親王は久寿2年(1155年)、守仁親王即位までの中継ぎとして即位したが、保元3年(1158年)、守仁親王に譲位。懿子は二条天皇の即位に伴い、皇太后を追贈された。
参考文献
[編集]- 角田文衛『待賢門院璋子の生涯』、朝日選書、1985年