藤原忻子
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藤原 忻子 | |
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第77代天皇后 | |
皇后 |
保元元年10月27日(1156年11月11日) (中宮) 平治元年2月21日(1159年3月12日) (皇后宮) |
皇太后 | 承安2年2月10日(1172年3月6日) |
誕生 | 長承3年(1134年) |
崩御 |
承元3年8月12日(1209年9月12日) |
諱 | 忻子 |
氏族 | 藤原氏(北家閑院流・徳大寺家) |
父親 | 徳大寺公能 |
母親 | 藤原豪子 |
配偶者 | 後白河天皇 |
入内 | 久寿2年10月20日(1155年11月16日) |
子女 | なし |
女御宣下 | 久寿2年10月26日(1155年11月22日) |
身位 | 女御 → 皇后 → 皇太后 |
立后前位階 | 従四位上 |
藤原 忻子(ふじわら の よしこ / きんし)は平安時代末期の后妃。第77代後白河天皇中宮。父は徳大寺公能で、母は藤原豪子。妹に近衛天皇皇后(のち二条天皇后)多子がいる。
久寿2年(1155年)に入内し、後白河天皇即位と共に従四位上女御となる。保元元年(1156年)、中宮に冊立。保元3年(1158年)、後白河天皇譲位。平治元年(1159年)、姝子内親王が二条天皇中宮に立后したのに伴い皇后宮。承安2年(1172年)、平徳子が高倉天皇中宮に立后したのに伴い皇太后。承元3年(1209年)、76歳で崩御。『今鏡』は美貌であったと伝えるが、後白河天皇の寵愛は薄かった。