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藤原忻子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤原 忻子
第77代天皇后
皇后 保元元年10月27日1156年11月11日
(中宮)
平治元年2月21日1159年3月12日
(皇后宮)
皇太后 承安2年2月10日1172年3月6日

誕生 長承3年(1134年
崩御 承元3年8月12日1209年9月12日
忻子
氏族 藤原氏北家閑院流徳大寺家
父親 徳大寺公能
母親 藤原豪子
配偶者 後白河天皇
入内 久寿2年10月20日1155年11月16日
子女 なし
女御宣下 久寿2年10月26日(1155年11月22日
身位 女御皇后皇太后
立后前位階 従四位
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藤原 忻子(ふじわら の よしこ / きんし)は平安時代末期の后妃。第77代後白河天皇中宮。父は徳大寺公能で、母は藤原豪子。妹に近衛天皇皇后(のち二条天皇后)多子がいる。

久寿2年(1155年)に入内し、後白河天皇即位と共に従四位上女御となる。保元元年(1156年)、中宮に冊立。保元3年(1158年)、後白河天皇譲位。平治元年(1159年)、姝子内親王が二条天皇中宮に立后したのに伴い皇后宮。承安2年(1172年)、平徳子高倉天皇中宮に立后したのに伴い皇太后。承元3年(1209年)、76歳で崩御。『今鏡』は美貌であったと伝えるが、後白河天皇の寵愛は薄かった。