奨子内親王
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奨子内親王 | |
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第96代天皇同母姉 | |
皇后 |
文保3年3月27日(1319年4月18日) (皇后宮) |
達智門院 | |
院号宣下 | 文保3年11月15日(1319年12月27日) |
誕生 | 弘安9年9月9日(1286年9月28日) |
崩御 |
正平3年11月2日(1348年11月23日) |
諱 | 奨子 |
戒名 | 真理覚 |
氏族 | 皇族 |
父親 | 後宇多天皇 |
母親 | 五辻忠子 |
伊勢斎宮 | 在任:1307年 - 1308年 |
奨子内親王(しょうし(まさこ)ないしんのう、1286年9月28日〈弘安9年9月9日〉- 1348年11月23日〈正平3年11月2日〉)は、鎌倉時代後期から室町時代初期(南北朝時代)にかけての皇族、歌人。後宇多天皇第1皇女。生母は参議五辻忠継の娘、典侍忠子(談天門院)。後醍醐天皇は同母弟にあたる。伊勢斎宮、のち皇后(尊称皇后)、女院。院号は達智門院(たっちもんいん)。
略歴
[編集]乾元元年(1302年)、内親王宣下。徳治元年12月22日(1307年1月26日)、21歳で異母兄後二条天皇の斎宮に卜定される。同2年9月13日(1307年10月10日)、諸司へ初斎院入り、同月27日(10月24日)野宮へ移る。同3年8月25日(1308年9月10日)、後二条天皇崩御のため、群行には至らず退下した。
その後、文保2年2月26日(1318年3月29日)に同母弟の後醍醐天皇が即位すると、翌文保3年3月27日(1319年4月18日)に皇后(非妻后の皇后)に冊立される。同年11月15日(12月27日)、達智門院の院号宣下を受けるが、同時期に母談天門院が没したため、まもなく出家して法号を真理覚と称した。元亨3年(1323年)には、紀伊国和佐荘の田地1町を荘内の高社(現和歌山県和歌山市の高積神社)に寄進している。正平3年(1348年)、63歳で崩御。
『続千載和歌集』『玉葉和歌集』などの勅撰集に多くの詠作が入集している。
参考文献
[編集]- 安田元久編 『鎌倉・室町人名事典』 新人物往来社、1990年。
- 芳賀登他監修 『日本女性人名辞典』 日本図書センター、1993年。