西園寺瑛子
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西園寺 瑛子 | |
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続柄 | 亀山院後宮 |
称号 | 昭訓門院 |
身位 | 従三位、女院 |
出生 |
文永10年(1273年) |
死去 |
建武3年/延元元年6月26日(1336年8月3日)(享年64) |
配偶者 | 亀山院 |
子女 | 恒明親王 |
父親 | 西園寺実兼 |
母親 | 中院顕子/後深草院二条 |
西園寺 瑛子(さいおんじ えいこ/えいし、文永10年(1273年) - 建武3年/延元元年6月26日(1336年8月3日))は、亀山院の宮人。父は西園寺実兼、母は中院顕子(中院通成の娘)とする説[1]と後深草院二条(源雅忠の娘)とする説[2]がある。子に恒明親王がいる。女院号は昭訓門院(しょうくんもんいん)。
生涯
[編集]正安3年(1301年)1月に29歳で亀山院の仙洞御所に入ると、3月に従三位に叙されて、同19日に院号宣下を受けて女院となる。嘉元元年(1303年)に恒明親王を生む。嘉元3年(1305年)9月に亀山院の崩御に伴って出家して、法名を真性覚と称した。
亀山院は生前に恒明を将来の天皇に就ける意向を示し、瑛子も兄である西園寺公衡と共にそのための工作を行ったが、後宇多天皇の反対によって挫折した。
なお、彼女に仕えていた春日局(二条為世の娘)は公衡の嫡男である実衡の室となって公宗を生んでいる。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 芳賀登 他編『日本女性人名辞典』(日本図書センター、1993年) ISBN 978-4-8205-7128-5 P546.
- 志村有弘 編『天皇皇族歴史伝説大事典』(勉誠出版、2008年) ISBN 978-4-585-06063-5 (児玉喜恵子「亀山天皇」) P582-583.
- 秋山喜代子「昭訓門院」『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞社、1994年) ISBN 978-4-02-340052-8 P836.