久子内親王 (後深草天皇皇女)
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久子内親王 | |
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続柄 | 後深草天皇第四皇女 |
全名 | 久子(きゅうし/ひさこ) |
称号 | 永陽門院 |
身位 | 内親王、准三宮 |
出生 |
文永9年(1272年) |
死去 |
貞和2年4月25日(1346年5月16日) (74-75歳没) |
父親 | 後深草天皇 |
母親 | 洞院愔子 |
久子内親王(きゅうしないしんのう/ひさこないしんのう、文永9年(1272年) - 貞和2年4月25日(1346年5月16日))は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての皇族。後深草天皇の第四皇女。母は玄輝門院(洞院愔子)。伏見天皇・性仁法親王の同母妹[1]。女院とされ永陽門院と号する。
生涯
[編集]正応4年4月6日(1291年5月5日)、20歳の時に内親王宣下を受けて同日に准三宮となる。永仁2年2月7日(1294年3月5日)に院号宣下を受ける。嘉元2年9月10日(1304年10月9日)に出家して真如智と名乗るが、後鳥羽天皇の生母・七条院の法号と被ってしまったために後に真性智と改めた[2][1]。花園天皇の皇女である徽安門院を猶子に迎えてその遺領を譲った[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 芳賀登 他編『日本女性人名辞典』(日本図書センター、1993年) ISBN 978-4-8205-7128-5 P168.
- 秋山喜代子「永陽門院」『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞社、1994年) ISBN 978-4-02-340052-8 P256.
- 志村有弘 編『天皇皇族歴史伝説大事典』(勉誠出版、2008年) ISBN 978-4-585-06063-5 (標宮子「後深草天皇」) P576-577.