繁子内親王 (光孝天皇皇女)
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繁子内親王 | |
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時代 | 平安時代前期 |
生誕 | 不詳 |
薨去 | 延喜16年5月26日(916年6月29日) |
位階 | 三品 |
父母 | 父:光孝天皇、母:滋野直子? |
兄弟 | 源元長、源兼善、源名実、源篤行、源最善、源近善、源音恒、源是恒、源旧鑑、忠子内親王、源貞恒、源成蔭、滋水清実、是忠親王、是貞親王、源国紀、宇多天皇、源香泉、源友貞、簡子内親王、綏子内親王、為子内親王、繁子内親王、穆子内親王、源和子、他 |
斎宮 | 元慶8年3月22日(884年4月25日)- 仁和3年10月11日(887年11月4日) |
繁子内親王(はんしないしんのう)は、光孝天皇第4皇女、伊勢斎宮。
父である光孝天皇の即位にともない、元慶8年(884年)3月22日に斎宮に卜定。同年4月9日に内親王宣下、8月13日に雅楽寮へ初斎院入り。仁和元年(885年)9月18日、野宮へ入る。同2年(886年)9月25日、伊勢へ群行(長奉送使は中納言藤原山蔭以下4名)。同3年(887年)10月11日、光孝天皇の崩御により退下。延喜16年(916年)5月26日、三品で没。
『日本三代実録』によれば伊勢下向の際に更衣滋野直子が随行しており、このことから彼女が繁子内親王の生母であったとする説がある。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 芳賀登ほか監修『日本女性人名辞典』(日本図書センター、1993年)
- 角田文衛監修『平安時代史事典』(角川書店、1994年)
- 山中智恵子『続斎宮志』(砂子屋書房、1992年) ISBN 4-7904-9221-4