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繁子内親王 (光孝天皇皇女)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
繁子内親王
時代 平安時代前期
生誕 不詳
薨去 延喜16年5月26日916年6月29日
位階 三品
父母 父:光孝天皇、母:滋野直子?
兄弟 源元長源兼善、源名実、源篤行、源最善、源近善、源音恒、源是恒源旧鑑忠子内親王源貞恒、源成蔭、滋水清実是忠親王是貞親王源国紀宇多天皇、源香泉、源友貞、簡子内親王、綏子内親王、為子内親王繁子内親王穆子内親王、源和子、
斎宮 元慶8年3月22日884年4月25日)- 仁和3年10月11日887年11月4日
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繁子内親王(はんしないしんのう)は、光孝天皇第4皇女伊勢斎宮

父である光孝天皇の即位にともない、元慶8年(884年)3月22日に斎宮に卜定。同年4月9日に内親王宣下、8月13日に雅楽寮初斎院入り。仁和元年(885年)9月18日、野宮へ入る。同2年(886年)9月25日、伊勢へ群行(長奉送使中納言藤原山蔭以下4名)。同3年(887年)10月11日、光孝天皇の崩御により退下。延喜16年(916年)5月26日、三品で没。

日本三代実録』によれば伊勢下向の際に更衣滋野直子が随行しており、このことから彼女が繁子内親王の生母であったとする説がある。

脚注

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参考文献

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