源元長
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時代 | 平安時代前期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 元慶7年(883年) |
官位 | 従四位上、下野権守 |
主君 | 清和天皇→陽成天皇 |
氏族 | 光孝源氏 |
父母 |
父:光孝天皇 母:班子女王(仲野親王の娘) |
兄弟 |
元長、兼善、名実、篤行、最善、近善、音恒、是恒、旧鑑、遅子、麗子、竒子、忠子内親王、貞恒、成蔭、是忠親王、是貞親王、国紀、宇多天皇、香泉、友貞、簡子内親王、崇子、連子、綏子内親王、礼子、最子、偕子、黙子、是子、並子、深子、為子内親王、周子、密子、繁子内親王、穆子内親王、緩子、和子、謙子、袟子、快子、善子など多数 養兄弟:是茂 |
源 元長(みなもと の もとなが)は、平安時代前期の皇族・貴族。光孝天皇の皇子で、光孝第一源氏。官位は従四位上・下野権守。
経歴
[編集]清和朝の貞観5年(863年)二世王の蔭位により无位から従四位下に直叙される。貞観12年(870年)2月に同じ時康親王の子息である兄弟の兼善王・是忠王・是貞王らと共に合わせて14名が源朝臣姓を与えられて臣籍降下し、同年12月に次侍従に任ぜられる。
のち、従四位上・下野権守に叙任されるが、父の時康親王が即位(光孝天皇)する前年の元慶7年(883年)卒去。
官歴
[編集]注記のないものは『日本三代実録』による。
- 貞観5年(863年) 正月7日:従四位下(直叙)
- 貞観12年(870年) 2月14日:臣籍降下(源朝臣)。12月29日:次侍従
- 時期不詳:従四位上。下野権守[1]
- 元慶7年(883年) 日付不詳:卒去[1]