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均子内親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
均子内親王
時代 平安時代前期
生誕 寛平2年(890年
薨去 延喜10年2月25日910年4月7日
別名 女一のみこ
位階 無品
父母 父:宇多天皇、母:藤原温子
兄弟 醍醐天皇斉中親王斉世親王敦慶親王敦固親王、斉邦親王、均子内親王柔子内親王君子内親王、戴明親王、敦実親王、孚子内親王、成子内親王、依子内親王、行中親王、誨子内親王、季子内親王、雅明親王、行明親王、源順子
敦慶親王
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均子内親王(きんしないしんのう)は、宇多天皇皇女、母親は藤原温子。藤原温子の一人娘である。後に異母兄である敦慶親王の妃となる。

歌物語大和物語』には、藤原温子・春澄洽子伊勢藤原高経女と共に和歌の集まりに参加する姿が描かれており[1]、また後撰和歌集に歌が残る。

脚注

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  1. ^ 『大和物語』第147段