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憲子内親王 (霊元天皇皇女)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
憲子内親王
続柄 霊元天皇第二皇女

全名 憲子(のりこ)
称号 女一宮
身位 二品・内親王
出生 寛文9年3月21日1669年4月21日
死去 貞享5年4月15日1688年5月14日
配偶者 近衛家熈
子女 近衛家久、徳君(徳大寺公全室)
父親 霊元天皇
母親 藤原(坊城)房子(権大納言典侍)
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憲子内親王(のりこないしんのう)は、江戸時代中期の皇族霊元天皇の第二皇女。母は小川坊城俊広女藤大典侍。夫は近衛家熈、子に近衛家久、徳君(徳大寺公全室)[1]。幼称は女一宮。

生涯

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1669年に霊元天皇の第二皇女として生まれる。第一皇女が夭折したため、憲子が女一宮とされた。1684年1月19日に内親王宣下を受ける。

後に皇別摂家近衛家の当主、近衛家熈の室に入る[2]

参考文献

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脚注

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