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綜子内親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
綜子内親王
続柄 後嵯峨天皇第一皇女

全名 綜子(そうし)
称号 月華門院
身位 内親王准三宮
出生 宝治元年10月9日1247年11月7日
死去 文永6年3月1日1269年4月3日)(享年23)
父親 後嵯峨天皇
母親 中宮西園寺姞子
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綜子内親王(そうしないしんのう、宝治元年10月9日1247年11月7日) - 文永6年3月1日1269年4月3日))は、鎌倉時代中期の皇族女院・女流歌人。女院号は月華門院(げっかもんいん)。後嵯峨天皇の第一皇女。母は中宮西園寺姞子(大宮院)。後深草天皇の同母妹で、亀山天皇の同母姉。

経歴

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宝治元年(1247年)10月9日後嵯峨天皇の第一皇女として誕生。同年11月内親王宣下を受ける。宝治2年(1248年)3月、安嘉門院邦子内親王猶子となる。弘長3年(1263年)7月准三宮・院号宣下を受け月華門院と称する。文永6年(1269年)3月1日、薨去。享年23。両親は彼女の死を大いに嘆いたという。

人物

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増鏡』において、源彦仁と密かに通じていたというが、園基顕とも関係を持っていたとされる。死因については堕胎の失敗ともいう。

和歌をよくし、『続古今和歌集』(8首)以降の勅撰和歌集に20首入集[1]

  • いかなればいつともわかぬ夕暮の風さへ秋はかなしかるらむ(続古今和歌集369)

脚注

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  1. ^ 『勅撰作者部類』

参考文献

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  • 井上宗雄翻訳『増鏡』講談社、1979年。
  • 芳賀登ほか監修『日本女性人名辞典』日本図書センター、1993年。
  • 志村有弘編『天皇皇族歴史伝説大事典』勉誠出版、2008年。