綜子内親王
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綜子内親王 | |
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続柄 | 後嵯峨天皇第一皇女 |
全名 | 綜子(そうし) |
称号 | 月華門院 |
身位 | 内親王、准三宮 |
出生 |
宝治元年10月9日(1247年11月7日) |
死去 |
文永6年3月1日(1269年4月3日)(享年23) |
父親 | 後嵯峨天皇 |
母親 | 中宮西園寺姞子 |
綜子内親王(そうしないしんのう、宝治元年10月9日(1247年11月7日) - 文永6年3月1日(1269年4月3日))は、鎌倉時代中期の皇族・女院・女流歌人。女院号は月華門院(げっかもんいん)。後嵯峨天皇の第一皇女。母は中宮・西園寺姞子(大宮院)。後深草天皇の同母妹で、亀山天皇の同母姉。
経歴
[編集]宝治元年(1247年)10月9日後嵯峨天皇の第一皇女として誕生。同年11月内親王宣下を受ける。宝治2年(1248年)3月、安嘉門院邦子内親王の猶子となる。弘長3年(1263年)7月准三宮・院号宣下を受け月華門院と称する。文永6年(1269年)3月1日、薨去。享年23。両親は彼女の死を大いに嘆いたという。
人物
[編集]『増鏡』において、源彦仁と密かに通じていたというが、園基顕とも関係を持っていたとされる。死因については堕胎の失敗ともいう。
和歌をよくし、『続古今和歌集』(8首)以降の勅撰和歌集に20首入集[1]。
- いかなればいつともわかぬ夕暮の風さへ秋はかなしかるらむ(続古今和歌集369)
脚注
[編集]- ^ 『勅撰作者部類』
参考文献
[編集]- 井上宗雄翻訳『増鏡』講談社、1979年。
- 芳賀登ほか監修『日本女性人名辞典』日本図書センター、1993年。
- 志村有弘編『天皇皇族歴史伝説大事典』勉誠出版、2008年。