秋子内親王
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秋子内親王 | |
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伏見宮妃 | |
続柄 | 東山天皇第一皇女 |
全名 | 秋子(あきこ) |
称号 | 姫宮 |
身位 | 二品・内親王 |
出生 |
元禄13年1月5日(1700年2月23日) |
死去 |
宝暦6年3月29日(1756年4月28日)(享年57) |
埋葬 | 相国寺内伏見宮墓地(京都市上京区) |
配偶者 | 伏見宮貞建親王 |
子女 | 猷子女王、豊子女王 |
父親 | 東山天皇 |
母親 | 中宮幸子女王 |
秋子内親王(あきこないしんのう、貞建親王妃 秋子内親王、元禄13年1月5日(1700年2月23日) - 宝暦6年3月29日(1756年4月28日))は、江戸時代の皇族。東山天皇の第一皇女で、伏見宮貞建親王の妃。生母は有栖川宮幸仁親王の王女、中宮幸子女王(承秋門院)。幼称は姫宮。法号は光顕院宮。
生涯
[編集]宝永元年(1704年)6月、江戸幕府の承認が得られず実現しなかったが、譲位の意向を示した父・東山天皇より後継に指名された[1]。宝永4年(1707年)に内親王宣下を受け、宝永7年(1710年)、従弟(父・東山天皇の同母妹福子内親王の子)にあたる貞建親王と婚約し、享保4年(1719年)、20歳で入輿。
入輿後は猷子女王、豊子女王の二女を儲けるが男子には恵まれず、家女房の産んだ邦忠親王を実子と公称した。その後、寛保3年(1743年)に二品に叙され、宝暦6年(1756年)、57歳で薨去。相国寺(京都市上京区)内の伏見宮墓地に葬られた。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 藤田覚『天皇の歴史6:江戸時代の天皇』講談社〈講談社学術文庫〉、2018年。ISBN 978-4065116401。
外部リンク
[編集]- 『親王・諸王略傳』秋[秋子] - ウェイバックマシン(2019年1月1日アーカイブ分)