有智子内親王
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有智子内親王 | |
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有智子内親王(『前賢故実』より) | |
時代 | 平安時代初期 - 前期 |
生誕 | 大同2年(807年) |
薨去 | 承和14年10月26日(847年12月7日) |
墓所 | 有智子内親王墓(山城国葛野郡、現・京都府京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町) |
位階 | 二品 |
父母 |
父:嵯峨天皇 母:交野女王 |
兄弟 | 仁子内親王、業良親王、業子内親王、有智子内親王、仁明天皇、正子内親王、源信、源貞姫、源潔姫、源弘、源全姫、源常、源寛、源明、源善姫、源定、基良親王、基子内親王、秀良親王、秀子内親王、忠良親王、俊子内親王、芳子内親王、繁子内親王、宗子内親王、純子内親王、斉子内親王、源生、源安、源融、源鎮、源啓、源勤、源清、源勝、他 |
斎院 | 弘仁元年(810年)- 天長8年12月8日(832年1月14日) |
有智子内親王(うちこないしんのう)は、第52代嵯峨天皇の第8皇女 。母は交野女王[1]。漢詩人。初代賀茂斎院。
生涯
[編集]大同4年(809年)、父の嵯峨天皇が即位。弘仁元年(810年)、4歳で賀茂斎院に卜定される。同9年、斎院司開設。同14年(823年)2月、三品に叙され封100戸を賜る。同年4月、嵯峨天皇が譲位する。天長8年12月8日(832年1月14日)、病により退下。同10年(833年)、二品に昇叙。承和14年(847年)薨去。享年41。
有智子内親王は弘仁元年(810年)の薬子の変をきっかけに、初代賀茂斎院に定められたと言われる。嵯峨天皇の皇子女の中でも豊かな文才に恵まれた皇女で、弘仁14年(823年)嵯峨天皇が斎院へ行幸した際に優れた漢詩をものしたことから、感嘆した天皇は内親王を三品に叙したという。その詩作は『経国集』などに合計10首が遺されており、日本史上数少ない女性漢詩人の一人である。
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有智子内親王墓(嵯峨野)