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功子内親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
功子内親王
続柄 高倉天皇第一皇女

全名 功子(こうし/ことこ/いさこ)
身位 内親王
出生 安元2年3月30日1176年5月10日
死去 不明
香川県坂出市王越町乃生
埋葬 没地に同じ。「平家と共に屋島から九州に落ち延びる途中、坂出沖の瀬居島に寄った時、土地の漁師が衰弱しているのを見兼ね、乃生浦に女子供ともどもにかくまった。」との記載有(坂出市史)墓は周りを掘に囲まれた墳墓で、御墓(みはか)と呼ばれている。墓石は2基ある。確たる物証は無いが墓石は直径1m程の丸型。
父親 高倉天皇
母親 帥局(藤原公重の娘)
役職 伊勢斎宮
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功子内親王(こうし(ことこ/いさこ)ないしんのう、安元2年3月30日1176年5月10日) - 薨年不詳)は、平安時代後期の皇族高倉天皇第1皇女。母は帥局(藤原公重の)。高倉天皇朝の伊勢斎宮

治承元年(1177年)10月27日、2歳で斎宮に卜定される(同日内親王宣下)。翌2年(1178年一本御書所初斎院入り、同年9月14日野宮へ遷るが、同3年(1179年)1月11日、母の死去により群行せず4歳で退下。その後の消息は不明。

参考文献

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