忠良親王
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忠良親王 | |
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時代 | 平安時代初期 - 前期 |
生誕 | 弘仁10年(819年) |
薨去 | 貞観18年2月20日(876年3月19日) |
官位 | 二品式部卿兼大宰帥 |
父母 | 父:嵯峨天皇、母:百済王貴命 |
兄弟 | 仁子内親王、業良親王、業子内親王、有智子内親王、仁明天皇、正子内親王、源信、源貞姫、源潔姫、源弘、源全姫、源常、源寛、源明、源善姫、源定、基良親王、基子内親王、秀良親王、秀子内親王、忠良親王、俊子内親王、芳子内親王、繁子内親王、宗子内親王、純子内親王、斉子内親王、源生、源安、源融、源鎮、源啓、源勤、源清、源勝、他 |
子 | 操子女王 |
忠良親王(ただよししんのう)は、嵯峨天皇の第4皇子。官位は二品・式部卿。
経歴
[編集]承和元年(834年)初冠をして四品に叙せられる。承和3年(836年)上総太守に任ぜられると、のち仁明朝では常陸太守・兵部卿を歴任し、嘉祥3年(850年)三品に叙せられる。仁寿3年(853年)上総太守。
天安2年(858年)清和天皇の即位に伴って二品に叙せられると、清和朝では上野太守・式部卿・大宰帥を歴任。貞観18年(876年)2月20日薨去。享年58。最終官位は二品行式部卿兼大宰帥。
人物
[編集]承和12年(845年)仁明天皇が河陽宮へ行幸して遊猟した際、外戚の百済王氏とともに御贄の献上を行い[2]、また貞観2年(860年)私有していた鷹を利用して五畿内の禁野(皇室の猟場)で狩猟を行うことを許されるなど[3]、鷹狩を好んでいた様子がうかがわれる。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 承和元年(834年) 2月14日:初冠、四品
- 承和3年(836年) 正月11日:上総太守
- 承和5年(838年) 正月13日:常陸太守
- 承和7年(840年) 3月5日:兵部卿
- 嘉祥3年(850年) 正月7日:三品。10月3日:帯剣
- 仁寿3年(853年) 正月16日:上総太守
- 天安2年(858年) 11月7日:二品
- 貞観2年(860年) 正月16日:上野太守
- 貞観3年(861年) 2月3日:賜摂津国豊島郡古荒田57町
- 貞観5年(863年) 2月10日:式部卿
- 貞観13年(871年) 正月29日:上野太守、式部卿如元
- 貞観14年(872年) 2月29日:大宰帥、式部卿如元
- 貞観18年(876年) 2月20日:薨去(二品行式部卿兼大宰帥)