源寛
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時代 | 平安時代初期 - 前期 |
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生誕 | 弘仁4年(813年) |
死没 | 貞観18年5月27日(876年6月22日) |
官位 | 正四位下、宮内卿 |
主君 | 仁明天皇→文徳天皇→清和天皇 |
氏族 | 嵯峨源氏 |
父母 | 父:嵯峨天皇、母:安倍楊津の娘 |
兄弟 | 有智子内親王、潔姫、正良親王、正子内親王、信、貞姫、弘、常、全姫、寛、明、善姫、定、秀良親王、忠良親王、生、安、融、鎮、勤、啓、業良親王、基良親王、業子内親王、秀子内親王、俊子内親王、芳子内親王、繁子内親王、基子内親王、仁子内親王、宗子内親王、純子内親王、斉子内親王、淳王、清、澄、勝、賢、継、若姫、密姫、端姫、盈姫、更姫、神姫、容姫、吾姫、声姫、年姫、良姫 |
妻 | 不詳 |
子 | 矜、宥 |
源 寛(みなもと の ひろし)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。嵯峨天皇の皇子。官位は正四位下・宮内卿。
経歴
[編集]元服と同時に正六位上に叙せられ、のち省試に及第して文章生となる。
仁明朝の承和3年(836年)正五位上から従四位上に昇叙される。のち加賀守・阿波守と仁明朝前半は地方官を務める。承和12年(845年)神祇伯に任ぜられると、右京大夫・刑部卿と仁明朝後半から文徳朝半ばにかけて京官を歴任。この間の斉衡3年(856年)20年ぶりに昇叙され正四位下となるが、以降死去までの20年間この位階に留まった。
文徳朝末の斉衡4年(857年)讃岐権守と再び地方官に転じる。清和朝の貞観5年(863年)宮内卿に任ぜられ京官に復すが、貞観6年(864年)越前権守を兼ね、貞観12年(870年)伊予守に転じた。貞観18年(876年)5月27日卒去。享年64。最終官位は散位正四位下。
人物
[編集]幼い頃から学問に熱心であったことから、父の嵯峨天皇は幅広い分野に通じるよう寛に研鑽させたという。性格は地味で真面目であり、みだりに交際をしなかった。また政事に留意することがなく、自らの意志で敢えて公卿の地位には昇らなかったという[1]。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上。文章生
- 時期不詳:正五位上
- 承和3年(836年) 正月7日:従四位上
- 承和6年(839年) 正月11日:加賀守
- 承和9年(842年) 7月15日:服解(嵯峨上皇服喪)。9月8日:加賀守
- 時期不詳:阿波守
- 承和12年(845年) 8月17日:神祇伯
- 承和14年(847年) 2月11日:右京大夫
- 嘉祥元年(848年) 日付不詳:刑部卿
- 仁寿2年(852年) 正月15日:兼越中守
- 斉衡3年(856年) 正月7日:正四位下
- 斉衡4年(857年) 正月14日:讃岐権守
- 貞観5年(863年) 2月10日:宮内卿
- 貞観6年(864年) 正月16日:兼越前権守
- 貞観12年(870年) 正月25日:伊予守
- 貞観18年(876年) 5月27日:卒去(散位正四位下)
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。