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正親町三条秀子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
正親町三条 秀子
続柄 光厳天皇典侍崇光天皇後光厳天皇生母

称号 陽禄門院
身位 従三位准三宮女院
出生 応長元年(1311年
死去 観応3年11月28日1353年1月12日)(享年42)
配偶者 光厳天皇
父親 正親町三条公秀
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正親町三条 秀子(おおぎまちさんじょう ひでこ、応長元年(1311年) - 観応3年11月28日1353年1月12日))は、南北朝時代室町時代女性光厳天皇典侍で、崇光天皇後光厳天皇の生母。父は内大臣正親町三条公秀准三宮。院号は陽禄門院

延元2年(1337年)3月に従三位に叙任。光厳上皇に最も長く仕え、崇光後光厳両天皇を産む。観応3年(1352年)6月頃より病み、10月に院号宣下と同時に准三宮となり、同年出家して、11月28日に42歳で薨去した。大梅山長福寺に埋葬された。