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藤原昭子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤原 昭子(ふじわら の あきこ/しょうし、生没年不詳)は平安時代中期から後期にかけての女性。右大臣藤原頼宗の三女。母は藤原伊周の娘。後三条天皇女御承香殿女御または堀河女御と称された。

治暦2年(1066年)7月に東宮・尊仁親王(後の後三条天皇)に入内する[1]。治暦4年(1068年)後三条天皇が即位し、10月大嘗会の女御代を務める。翌延久元年(1069年)4月、女御宣下を受ける。皇子女はなかった。延久3年(1071年)8月新造内裏に移って、承香殿を局とした。延久5年(1073年)に天皇が崩御すると、出家して堀河院に移った。

『栄花物語』によると、父・頼宗は当初、後冷泉天皇後宮に入れようとしていたが、頼通の娘・寛子の入内により断念し、のちに東宮(後三条天皇)への入内となった。なお、入内前の康平8年(1065年)父・頼宗が薨去している。

脚注

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参考文献

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