藤原為通
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時代 | 平安時代後期 |
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生誕 | 天永3年(1112年) |
死没 | 仁平4年6月13日(1154年7月25日) |
改名 | 次太君(幼名)→為通 |
官位 | 正四位下、参議 |
主君 | 崇徳天皇→近衛天皇 |
氏族 | 藤原北家中御門流 |
父母 | 父:藤原伊通、母:藤原定実の娘 |
兄弟 | 為通、伊実、呈子 |
妻 | 源師頼の娘 |
子 | 伊忠、泰通、性禅、猷玄、女子 |
藤原 為通(ふじわら の ためみち)は、平安時代後期の公卿。藤原北家中御門流、太政大臣・藤原伊通の長男。官位は正四位下・参議。
経歴
[編集]崇徳天皇に寵愛される。大治5年(1130年)叙爵され、右少将、左中将、備中介等を歴任。大治6年(1131年)従五位上の昇叙から、保延年間に従四位上まで昇進。永治2年(1141年)に正四位下に叙され、備後権介、左中将、蔵人頭等を経て、久安6年(1150年)に参議・中宮権大夫。仁平2年(1152年)に丹波権守となるが、2年後に卒去。享年43。
五味文彦『院政期社会の研究』によると、康治元年(1142年)に藤原頼長と男色関係にあったと記される「四品羽林」、また久安3年(1147年)正月に情交を持っているのが為通だとされる。
- 大治5年5月7日(1130年6月14日):従五位下
- 大治6年正月7日(1131年2月6日):従五位上
- 長承元年12月25日(1133年2月1日):侍従
- 保延2年正月5日(1136年2月8日):正五位下、12月24日(1137年1月17日):右少将
- 保延3年正月3日(1137年1月25日):備中介、4月16日(1137年5月7日):左少将、
- 保延4年正月6日(1138年2月16日):従四位下
- 保延6年正月22日(1140年2月12日):従四位上
- 永治元年12月2日(1141年12月31日):中宮権亮、12月7日(1142年1月5日):皇太后宮権亮
- 永治2年正月7日(1142年2月4日):正四位下、正月23日(1142年2月20日):備後権介、12月21日(1143年1月8日):左中将
- 久安2年正月(1146年):備前権介
- 久安5年7月28日(1149年9月1日):蔵人頭
- 久安6年正月29日(1150年2月28日):参議、6月22日(1150年7月18日):中宮権大夫
- 仁平2年正月28日(1152年3月6日):丹波権守