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藤原直方

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤原直方
時代 平安時代前期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 従四位下阿波権守
主君 清和天皇陽成天皇光孝天皇
氏族 藤原北家
父母 父:藤原良相
兄弟 常行、行方、忠方直方、多賀幾子、多美子、三松俊行室
輔夏
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藤原 直方(ふじわら の なおかた)は、平安時代前期の貴族右大臣藤原良相の子。官位従四位下阿波権守

経歴

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貞観5年(863年清和天皇太政大臣藤原良房邸に行幸した際、妹・多美子と共に叙位を受けて従五位下に叙せられ、翌貞観6年(864年左兵衛権佐に任ぜられる。父・良相の後押しもあり、貞観8年(866年)には従五位上・次侍従に叙任され順調に昇進する。しかし、父・良相が同年に発生した応天門の変で政治的影響力を失い、翌貞観9年(867年)薨去して以降、直方の昇進は遅滞する。

陽成朝の元慶3年(879年従四位下に叙せられるが、その時点で散位であり、その後もしばらく官職に任ぜられた記録はなく、仁和2年(886年)には阿波権守として地方官に転じている。

人物

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才能と品行を称えられたという[1]

官歴

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日本三代実録』による。

系譜

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  • 父:藤原良相
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
  • 生母不詳の子女
    • 男子:藤原輔夏

脚注

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  1. ^ 『日本三代実録』貞観9年10月10日条

出典

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