藤原直方
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時代 | 平安時代前期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 従四位下、阿波権守 |
主君 | 清和天皇→陽成天皇→光孝天皇 |
氏族 | 藤原北家 |
父母 | 父:藤原良相 |
兄弟 | 常行、行方、忠方、直方、多賀幾子、多美子、三松俊行室 |
子 | 輔夏 |
藤原 直方(ふじわら の なおかた)は、平安時代前期の貴族。右大臣・藤原良相の子。官位は従四位下・阿波権守。
経歴
[編集]貞観5年(863年)清和天皇が太政大臣・藤原良房邸に行幸した際、妹・多美子と共に叙位を受けて従五位下に叙せられ、翌貞観6年(864年)左兵衛権佐に任ぜられる。父・良相の後押しもあり、貞観8年(866年)には従五位上・次侍従に叙任され順調に昇進する。しかし、父・良相が同年に発生した応天門の変で政治的影響力を失い、翌貞観9年(867年)薨去して以降、直方の昇進は遅滞する。
陽成朝の元慶3年(879年)従四位下に叙せられるが、その時点で散位であり、その後もしばらく官職に任ぜられた記録はなく、仁和2年(886年)には阿波権守として地方官に転じている。
人物
[編集]才能と品行を称えられたという[1]。
官歴
[編集]『日本三代実録』による。
- 貞観5年(863年)10月21日:従五位下
- 貞観6年(864年)3月8日:左兵衛権佐
- 貞観7年(865年)6月26日:左相撲司
- 貞観8年(866年)3月23日:従五位上。12月29日:次侍従
- 時期不詳:正五位下
- 元慶3年(879年)正月7日:従四位下
- 仁和2年(886年)正月16日:阿波権守
系譜
[編集]- 父:藤原良相
- 母:不詳
- 妻:不詳
- 生母不詳の子女
- 男子:藤原輔夏
脚注
[編集]- ^ 『日本三代実録』貞観9年10月10日条