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藤原積善

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤原積善
時代 平安時代前期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 正五位下皇太后宮亮
主君 清和天皇陽成天皇
氏族 藤原北家魚名流
父母 父:藤原高房、母:不詳
兄弟 生丘、智泉、山蔭、時長、積善、朝行、尚忠
不詳
四照
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藤原 積善(ふじわら の つむよし/しげよし)は、平安時代前期の貴族藤原北家魚名流、越前守藤原高房の子。官位正五位下皇太后宮亮

経歴

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内蔵大允を経て、貞観4年(862年従五位下・内蔵権助に叙任される。内蔵権助を務める間、貞観9年(867年薬師寺に派遣されて先に没した僧正壱演に対して転念功徳を修し[1]、貞観11年(869年)には従五位上に叙せられている。

元慶6年(882年)に藤原高子皇太后になると、積善は皇太后宮亮として仕える。その後、正五位下に至った。

官歴

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日本三代実録』による。

系譜

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尊卑分脈』による。

  • 父:藤原高房
  • 母:不詳
  • 生母不明の子女
    • 男子:藤原四照

脚注

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  1. ^ 『日本三代実録』貞観9年8月28日条
  2. ^ a b 『尊卑分脈』

参考文献

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