藤原積善
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時代 | 平安時代前期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 正五位下、皇太后宮亮 |
主君 | 清和天皇→陽成天皇 |
氏族 | 藤原北家魚名流 |
父母 | 父:藤原高房、母:不詳 |
兄弟 | 生丘、智泉、山蔭、時長、積善、朝行、尚忠 |
妻 | 不詳 |
子 | 四照 |
藤原 積善(ふじわら の つむよし/しげよし)は、平安時代前期の貴族。藤原北家魚名流、越前守・藤原高房の子。官位は正五位下・皇太后宮亮。
経歴
[編集]内蔵大允を経て、貞観4年(862年)従五位下・内蔵権助に叙任される。内蔵権助を務める間、貞観9年(867年)薬師寺に派遣されて先に没した僧正・壱演に対して転念功徳を修し[1]、貞観11年(869年)には従五位上に叙せられている。
元慶6年(882年)に藤原高子が皇太后になると、積善は皇太后宮亮として仕える。その後、正五位下に至った。
官歴
[編集]『日本三代実録』による。
- 時期不詳:正六位上。内蔵大允
- 貞観4年(862年) 正月7日:従五位下。正月13日:内蔵権助
- 貞観11年(869年) 正月7日:従五位上
- 貞観12年(870年) 12月29日:次侍従
- 時期不詳:大学助[2]。皇太后宮亮(皇太后・藤原高子)
- 元慶8年(884年) 5月26日:阿波権介
- 時期不詳:正五位下[2]
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。
- 父:藤原高房
- 母:不詳
- 生母不明の子女
- 男子:藤原四照