藤原範継
表示
時代 | 鎌倉時代前期 |
---|---|
生誕 | 建永元年(1206年) |
死没 | 不詳 |
別名 | 範嗣[1] |
官位 | 従四位下、左馬頭 |
主君 | 順徳天皇→仲恭天皇→後堀河天皇→四条天皇 |
氏族 | 藤原南家高倉流 |
父母 | 父:藤原範茂、母:中納言局(平知盛の娘) |
兄弟 | 範継、四条隆親室、範有、範房、範能、範任、雲円、忠成王妃 |
妻 | 平信繁の娘 |
子 | 範藤、範名、教範 |
藤原 範継(ふじわら の のりつぐ)は、鎌倉時代前期の貴族。藤原南家高倉流、参議・藤原範茂の子。官位は従四位下・左馬頭。
略歴
[編集]承久3年(1221年)に承久の乱に関与した父・範茂が処刑されたが、範継は北条泰時の意向により助命された。その後、侍従を経て、安貞元年(1227年)に舞人として参仕している[2]。寛喜3年(1231年)正五位下に叙され、この頃に左馬頭に任ぜられた。範継は公卿に昇進できなかったが、子孫は高倉家(藪家)の嫡流となり、堂上家を多く輩出している。
なお、範継の位階を『公卿補任』は正五位下とし、『尊卑分脈』は従四位下とする。
官歴
[編集]系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年