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堂上家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

堂上家(とうしょうけ、どうじょうけ)は、公家家格の一つ。御所清涼殿南廂にある殿上間(てんじょうのま)に昇殿する資格を世襲した家柄。また、公卿になれる家柄。同時に上級貴族とも呼ばれる。

上記以外の中流・下級貴族である地下家地下人)を除く公家を指す。江戸時代末期には137家があった。

概要

[編集]

平安時代中期に昇殿の制が始まり、院政期には公卿となることが出来る家柄が固定されるようになったため、公家の中で昇殿を許される家柄とこれを許されない家柄、公卿になれる家柄となれない家柄に分かれ、前者を堂上家、後者を地下家(じげけ)とする区分が成立した。一般的に、公卿になると昇殿が許されたが、まれに地下の公卿も存在した。

広義では公卿になることができる摂家清華家大臣家羽林家名家半家の総称であるが、狭義では上記のうち摂家・清華家・大臣家を除いた羽林家以下のみを指し、平堂上平堂上家ひらとうしょうけ)とも呼ばれた[1]

南北朝時代以降、堂上家のなかに時の天皇との親疎により内々外様の区別が生じた。出勤した時の御所内での詰め所も異なり、天皇から受ける処遇も違った。

また、安土桃山時代天正年間(1573年 - 1591年)までに成立していた64家を旧家、それ以降新規に設立された家を新家と区分している。

明治維新後、1884年(明治17年)7月7日、平堂上のうち、大納言まで宣任の例が多い家[2]伯爵に、それ以外は子爵に叙せられた(「華族令」)。

堂上家一覧

[編集]

文久3年(1863年)版『雲上明覧』によれば、堂上家は以下の通り。

堂上家一覧
家格 家名 家系 本家 門流 内々/外様 旧家/新家 石高 家業 極官 維新後
摂家 近衞家[3][4] 藤氏
北家摂関流[5]
- - - - 2,862石 有職故実
三藐院流書道[5]
摂政関白 公爵
摂家 九條家[3] 藤氏
北家摂関流
- - - - 2,044石 有職故実
梅宮伝奏[5]
摂政・関白 公爵
摂家 鷹司家[3] 藤氏
北家摂関流
近衞 - - - 1,500石 有職故実
阿蘇鹿島社伝奏[5]
摂政・関白 公爵
摂家 二條家[3] 藤氏
北家摂関流
九條 - - - 1,708石 有職故実
歌道[5]
摂政・関白 公爵
摂家 一條家[3][6] 藤氏
北家摂関流
九條 - - - 2,044石 有職故実
香取社伝奏[5]
摂政・関白 公爵
清華 三條家[7] 藤氏
北家公季閑院)流
- - 内々 旧家 469石
装束
近衛大将大臣を兼任
太政大臣
公爵
清華 西園寺家 藤氏
北家公季(閑院)流
- 一條 外様 旧家 597石 琵琶 近衛大将・大臣を兼任
→ 太政大臣
侯爵 → 公爵
清華 德大寺家 北家公季(閑院)流 - - 内々 旧家 410石 近衛大将・大臣を兼任
→ 太政大臣
侯爵 → 公爵
清華 久我家[8] 源氏
村上源氏
- - 内々 旧家 700石 近衛大将・大臣を兼任
→ 太政大臣
侯爵
清華 花山院家 藤氏
北家師実(花山院)流
- 一條 内々 旧家 715石 近衛大将・大臣を兼任
→ 太政大臣
侯爵
清華 大炊御門家 藤氏
北家師実(大炊御門)流
- 一條 内々 旧家 403石 和琴・笛
・装束
近衛大将・大臣を兼任
→ 太政大臣
侯爵
清華 菊亭
(今出川)家
藤氏
北家公季(閑院)流
西園寺 一條 内々 旧家 1,655石 琵琶 近衛大将・大臣を兼任
→ 太政大臣
侯爵
清華 廣幡家 源氏
(正親町源氏)
- - 内々 新家 500石 - 近衛大将・内大臣 侯爵
清華 醍醐家 藤氏
北家摂関流
一條 一條 内々 新家 312石 - 近衛大将・左大臣 侯爵
大臣 中院家[8] 源氏
村上源氏
久我 - 内々 旧家 500石 - 大納言右大臣 伯爵
大臣 嵯峨
(正親町三條)家
藤氏
北家公季(閑院)流
三條 近衞 内々 旧家 200石 - 大納言 → 内大臣 伯爵 → 侯爵
大臣 三條西家 藤氏
北家公季(閑院)流
三條 - 内々 旧家 502石 歌道
二尊院・廬山寺等伝奏[5]
大納言 → 右大臣 伯爵
羽林 正親町家 藤氏
北家公季(閑院)流
洞院[5] 一條 内々 旧家 352石 近衛少将中将
参議中納言
→ 大納言
伯爵
羽林 滋野井家 藤氏
北家公季(閑院)流
三條 近衞 内々 旧家 180石 神楽 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
伯爵
羽林 姉小路家 藤氏
北家公季(閑院)流
三條 九條 内々 新家 200石 - 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
伯爵
羽林 清水谷家 藤氏
北家公季(閑院)流
西園寺 一條 内々 旧家 200石 能書
・笙・能楽[5]・神楽[5]
近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
伯爵
羽林 四辻
(室町)家
藤氏
北家公季(閑院)流
西園寺 近衞 外様 旧家 200石 神楽
・和琴・箏
近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
伯爵
羽林 橋本家 藤氏
北家公季(閑院)流
西園寺 一條 外様 旧家 500石 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
伯爵
羽林 河鰭家 藤氏
北家公季(閑院)流
三條 - 外様 旧家 152石 神楽[5] 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
子爵
羽林 阿野家 藤氏
北家公季(閑院)流
三條 近衞 外様 旧家 478石 神楽[5] 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
子爵
羽林 花園家 藤氏
北家公季(閑院)流
三條 二條 外様 新家 150石 - 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
子爵
羽林 裏辻家 藤氏
北家公季(閑院)流
西園寺 近衞 外様 新家 150石 - 近衛少将 → 中将
・参議
子爵
羽林 梅園家 藤氏
北家公季(閑院)流
西園寺 一條 外様 旧家 150石 - 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
子爵
羽林 山本家 藤氏
北家公季(閑院)流
三條 九條 内々 新家 150石 - 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
子爵
羽林 大宮家 藤氏
北家公季(閑院)流
西園寺 九條 外様 新家 130石 - 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
子爵
羽林 武者小路家 藤氏
北家公季(閑院)流
三條 - 外様 新家 130石 歌道 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言→准大臣
子爵
羽林 小倉家 藤氏
北家公季(閑院)流
洞院 近衞 外様 旧家 150石 神楽[5] 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
子爵
羽林 風早家 藤氏
北家公季(閑院)流
三條 九條 外様 新家 蔵米[9]30石
3人扶持
- 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
子爵
羽林 押小路家 藤氏
北家公季(閑院)流
三條 - 内々 新家 130石 - 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
子爵
羽林 高松家 藤氏
北家公季(閑院)流
三條 九條 外様 新家 蔵米30石
3人扶持
歌道 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
子爵
羽林 西四辻家 藤氏
北家公季(閑院)流
西園寺 鷹司 内々 新家 蔵米30石
3人扶持
近衛少将 → 中将 子爵
羽林 園池家 藤氏
北家魚名(四條)流
閑院流正親町三條[10]
三條 近衞 外様 新家 蔵米30石
3人扶持
- 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
子爵
羽林
(高倉)家
藤氏
南家貞嗣
・閑院流室町[11]
西園寺 一條 外様 新家 150石 神楽
・箏
近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
子爵
羽林 中園家 藤氏
南家貞嗣流
・閑院流室町
西園寺 一條 外様 新家 130石 - 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
子爵
羽林 高丘家 藤氏
南家貞嗣流
・閑院流室町
西園寺 鷹司 外様 新家 蔵米30石
3人扶持
- 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
子爵
羽林 中山家 藤氏
北家師実(花山院)流
花山院 一條 内々 旧家 200石 - 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言 → 内大臣
侯爵
羽林 飛鳥井家 藤氏
北家師実(難波)流
難波 一條 内々 旧家 928石 歌道
蹴鞠・書道[5]
近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
伯爵
羽林 難波家 藤氏
北家師実(難波)流
- 近衞 内々 旧家 300石 蹴鞠 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
子爵
羽林 野宮家 藤氏
北家師実(花山院)流
花山院 一條 内々 新家 150石 - 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
子爵
羽林 今城家 藤氏
北家師実(花山院)流
花山院 一條 内々 新家 181石 - 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
子爵
羽林 中御門
(松木)家
藤氏
北家頼宗中御門)流
- 一條 内々 旧家 341石 楽道[5]・笙 近衛次将・弁官
・参議 → 中納言
→ 大納言 → 内大臣
伯爵
羽林 園家 藤氏
北家頼宗(中御門)流
持明院 一條 内々 旧家 187石 琵琶
・生花
近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言 → 准大臣
伯爵
羽林 東園家 藤氏
北家頼宗(中御門)流
持明院 - 内々 新家 180石 神楽[5] 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
子爵
羽林 持明院家 藤氏
北家頼宗(中御門)流
- 近衞 内々 旧家 200石 能書
・神楽
近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
子爵
羽林 高野家 藤氏
北家頼宗(中御門)流
持明院 近衞 内々 新家 150石 - 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
子爵
羽林 石山家 藤氏
北家頼宗(中御門)流
壬生 一條 内々 新家 蔵米30石
3人扶持
書道[5] 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
子爵
羽林 壬生家 藤氏
北家頼宗(中御門)流
一條 内々 新家 130石 - 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
子爵 → 伯爵
羽林 石野家 藤氏
北家頼宗(中御門)流
持明院 近衞 外様 新家 蔵米30石
3人扶持
- 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
子爵
羽林 六角家 藤氏
北家頼宗(中御門)流
持明院 一條 外様 新家 蔵米30石
3人扶持
- 近衛少将 → 中将
・参議
子爵
羽林 四條家 藤氏
魚名(四條)流
- 一條 外様 旧家 180石
包丁
近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
伯爵 → 侯爵
羽林 鷲尾家 藤氏
魚名(四條)流
四條 九條 内々 旧家 180石 華道・神楽・膳羞[5] 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
伯爵
羽林 油小路家 藤氏
魚名(四條)流
西大路 九條 外様 旧家 150石 - 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
伯爵
羽林 櫛笥家 藤氏
魚名(四條)流
四條 近衞 内々 新家 83石 - 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言 → 内大臣
子爵
羽林 山科家 藤氏
魚名(四條)流
四條 近衞 内々 旧家 300石
・装束・衣紋・有職故実[5]
近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
伯爵
羽林 西大路家 藤氏
魚名(四條)流
四條 近衞 外様 旧家 100石 筆道[5] 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
子爵
羽林 八條家 藤氏
魚名(四條)流
四條 近衞 内々 新家 176石 - 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
子爵
羽林 上冷泉家 藤氏
北家長家(御子左)流
- 鷹司 外様 旧家 300石 歌道
・蹴鞠
近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
伯爵
羽林 下冷泉家 藤氏
北家長家(御子左)流
- 九條 外様 旧家 150石 歌道 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
子爵
羽林 藤谷家 藤氏
北家長家(御子左)流
上冷泉 鷹司 外様 新家 200石 歌道 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
子爵
羽林 入江家 藤氏
北家長家(御子左)流
上冷泉 鷹司 外様 新家 蔵米30石
3人扶持
歌道 非参議 子爵
羽林 水無瀬家[12] 藤氏
北家道隆(水無瀬)流
- 近衞 内々 旧家 631石 - 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
子爵
羽林 七條家[12] 藤氏
北家道隆(水無瀬)流
水無瀬 近衞 内々 新家 200石 - 近衛少将 → 中将
・参議
子爵
羽林 町尻家[12] 藤氏
北家道隆(水無瀬)流
水無瀬 近衞 外様 新家 蔵米30石
3人扶持
- 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
子爵
羽林 櫻井家[12] 藤氏
北家道隆(水無瀬)流
水無瀬 近衞 外様 新家 蔵米30石
3人扶持
- 近衛少将 → 中将 子爵
羽林 山井家[12] 藤氏
北家道隆(水無瀬)流
水無瀬 近衞 外様 新家 蔵米30石
3人扶持
- 非参議 子爵
羽林 堀河家 藤氏
北家長良(高倉)流
高倉流
水無瀬[13]
九條 外様 新家 230石 - 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
子爵
羽林 樋口家 藤氏
北家長良(高倉)流
高倉流
水無瀬
九條 外様 新家 200石 - 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
子爵
羽林 六条家 源氏
村上源氏
久我 - 外様 旧家 265石 - 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言 → 内大臣
子爵
羽林 久世家 源氏
村上源氏
久我 - 外様 新家 200石 - 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
子爵
羽林 岩倉家 源氏
村上源氏
久我 一條 内々 新家 150石 - 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
公爵
羽林 千種家 源氏
村上源氏
久我 一條 内々 新家 150石 - 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
子爵
羽林 梅溪家 源氏
村上源氏
久我 鷹司 内々 新家 150石 - 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
子爵
羽林 愛宕家 源氏
村上源氏
久我 - 内々 新家 130石 - 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
子爵
羽林 東久世家 源氏
村上源氏
久我 - 外様 新家 蔵米30石
3人扶持
- 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
伯爵
羽林 植松家 源氏
村上源氏
久我 一條 内々 新家 130石 生花 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
子爵
羽林 庭田家 源氏
宇多源氏
- 一條 内々 旧家 350石 神楽 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
伯爵
羽林 綾小路家 源氏
宇多源氏
庭田 九條 内々 旧家 200石 神楽・琵琶
・箏・笛
篳篥
蹴鞠
近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
→ 大納言
子爵
羽林 大原家 源氏
宇多源氏
庭田 一條 内々 新家 蔵米30石
3人扶持
神楽[5] 近衛少将 → 中将
・参議 → 中納言
伯爵
名家 日野家 藤氏
北家真夏(日野)流
- 近衞 内々 旧家 1,153石 儒道・歌道[5] 侍従弁官
蔵人頭を兼任)
→ 中納言 → 大納言
左大臣
伯爵
名家 廣橋家 藤氏
北家真夏(日野)流
- 近衞 内々 旧家 858石 文筆
石清水八幡宮等伝奏[5]
侍従・弁官
(蔵人頭を兼任)
→ 中納言 → 大納言
→ 内大臣
伯爵
名家 柳原家 藤氏
北家真夏(日野)流
日野 近衞 内々 旧家 202石 文筆[5] 侍従・弁官
(蔵人頭を兼任)
→ 中納言 → 大納言
→ 准大臣
伯爵
名家 烏丸家 藤氏
北家真夏(日野)流
日野 一條 内々 旧家 1,004石 和歌
宇佐八幡宮等伝奏[5]
侍従・弁官
(蔵人頭を兼任)
→ 中納言 → 大納言
→ 内大臣
伯爵
名家 竹屋家 藤氏
北家真夏(日野)流
広橋 近衞 外様 旧家 180石 挿花 弁官 → 中納言 子爵
名家 日野西家 藤氏
北家真夏(日野)流
広橋 近衞 外様 新家 200石 - 侍従・弁官
(蔵人を兼任)
→ 中納言
子爵
名家 勘解由小路家 藤氏
北家真夏(日野)流
日野 近衞 内々 新家 130石 儒道[5] 侍従・弁官
→ 中納言 → 大納言
子爵
名家 裏松家 藤氏
北家真夏(日野)流
日野 近衞 外様 新家 130石 - 侍従・弁官
(蔵人を兼任)
→ 中納言 → 大納言
子爵
名家 外山家 藤氏
北家真夏(日野)流
日野 近衞 外様 新家 蔵米30石
3人扶持
- 侍従 → 中納言 → 大納言 子爵
名家 豐岡家 藤氏
北家真夏(日野)流
日野 近衞 外様 新家 蔵米30石
3人扶持
- 中納言 子爵
名家 三室戸家 藤氏
北家真夏(日野)流
日野 近衞 外様 新家 130石 - 大納言 子爵
名家 北小路家 藤氏
北家真夏(日野)流
日野 - 外様 新家 蔵米30石
3人扶持
- 参議 子爵
名家 甘露寺家 藤氏
北家高藤勸修寺)流
- 九條 内々 旧家 200石 笛・儒道[5] 侍従・弁官
(蔵人頭を兼任)
→ 中納言 → 大納言
→ 内大臣
伯爵
名家 葉室家 藤氏
北家高藤(勸修寺)流
- 九條 内々 旧家 183石 善光寺伝奏[5] 侍従・弁官
(蔵人頭を兼任)
→ 中納言 → 大納言
→ 准大臣
伯爵
名家 勸修寺家 藤氏
北家高藤(勸修寺)流
- 一條 内々 旧家 708石 儒道
住吉社・泉涌寺・大徳寺・永平寺・南禅寺・遊行寺・西大寺等伝奏[5]
侍従・弁官
(蔵人頭を兼任)
→ 中納言 → 大納言
→ 内大臣
伯爵
名家 萬里小路家 藤氏
北家高藤(勸修寺)流
- 近衞 内々 旧家 390石 般舟院・清涼寺・常照寺等伝奏[5] 侍従・弁官
(蔵人頭を兼任)
→ 中納言 → 大納言
→ 内大臣
伯爵
名家 清閑寺家 藤氏
北家高藤(勸修寺)流
甘露寺 一條 内々 旧家 180石 広隆寺・智積院・高野山学僧侶等伝奏[5] 侍従・弁官
(蔵人頭を兼任)
→ 中納言 → 大納言
→ 内大臣
伯爵
名家 中御門家 藤氏
北家高藤(勸修寺)流
勸修寺 二條 内々 旧家 200石 - 侍従・弁官
(蔵人頭を兼任)
→ 中納言 → 大納言
伯爵 → 侯爵
名家 坊城家 藤氏
北家高藤(勸修寺)流
勸修寺 九條 内々 旧家 180石 文章道
身延山久遠寺等伝奏
侍従・弁官
(蔵人頭を兼任)
→ 中納言 → 大納言
伯爵
名家 芝山家 藤氏
北家高藤(勸修寺)流
勸修寺 近衞 内々 新家 蔵米100石 - 侍従・弁官(
蔵人頭を兼任)
→ 中納言 → 大納言
子爵
名家 池尻家 藤氏
北家高藤(勸修寺)流
甘露寺 一條 外様 新家 蔵米50石
3人扶持
- 侍従・弁官
(蔵人頭を兼任)
→ 中納言 → 大納言
子爵
名家 梅小路家 藤氏
北家高藤(勸修寺)流
甘露寺 一條 外様 新家 蔵米50石
3人扶持
- 侍従・弁官
(蔵人頭を兼任)
→ 中納言 → 大納言
子爵
名家 岡崎家 藤氏
北家高藤(勸修寺)流
勸修寺 二條 外様 新家 蔵米50石
3人扶持
- 侍従・弁官
(蔵人頭を兼任)
→ 中納言 → 大納言
子爵
名家 穗波家 藤氏
北家高藤(勸修寺)流
勸修寺 九條 外様 新家 蔵米50石
3人扶持
- 侍従・弁官
(蔵人頭を兼任)
→ 中納言
子爵
名家 堤家 藤氏
北家高藤(勸修寺)流
甘露寺 鷹司 外様 新家 蔵米50石
3人扶持
- 侍従・弁官
(蔵人頭を兼任)
→ 中納言
子爵
名家 平松家 平氏
桓武平氏
西洞院 近衞 内々 新家 200石 - 侍従・弁官
(蔵人頭を兼任)
→ 中納言 → 大納言
子爵
名家 長谷家 平氏
桓武平氏
西洞院 近衞 外様 新家 蔵米30石
3人扶持
- 侍従・弁官
(蔵人頭を兼任)
→ 中納言
子爵
名家 交野家 平氏
桓武平氏
西洞院 近衞 外様 新家 蔵米30石
3人扶持
- 侍従・弁官
(蔵人頭を兼任)
→ 中納言
子爵
半家 高倉家 藤氏
北家長良(高倉)流
- 近衞 内々 旧家 813石 有職故実・装束[5] 大納言 子爵
半家 富小路家 藤氏
北家摂関流
二條殿
別流の家
近衞 内々 旧家 200石 和歌・俳諧[5] 非参議 子爵
半家 竹内家 源氏
清和源氏
- 近衞 外様 旧家 187石 - 非参議 子爵
半家 五辻家 源氏
宇多源氏
- 九條 内々 旧家 200石 神楽 非参議 子爵
半家 慈光寺家 源氏
宇多源氏
五辻 近衞 外様 新家 蔵米30石
3人扶持
- 非参議 子爵
半家 白川家[14] 王氏・源氏
花山源氏
- 二條 内々 旧家 200石[15] 神祇伯 非参議 子爵
半家 西洞院家 平氏
桓武平氏
- 近衞 内々 旧家 260石 - 大納言 子爵
半家 石井家 平氏
桓武平氏
西洞院 近衞 外様 新家 130石 - 中納言 子爵
半家 高辻家 菅原氏 - 一條 外様 旧家 200石 紀伝道[5]・文章博士 大納言 子爵
半家 唐橋家 菅原氏 - 九條 外様 旧家 182石 紀伝道[5]儒道
・文章博士
大納言 子爵
半家 五條家 菅原氏 高辻 一條 外様 旧家 200石 紀伝道[5]・文章博士
相撲
大納言 子爵
半家 東坊城家 菅原氏 高辻 一條 外様 旧家 301石 紀伝道 大納言 子爵
半家 清岡家 菅原氏 高辻 一條 外様 新家 蔵米30石
3人扶持
儒学[5] 参議 子爵
半家 桒原家 菅原氏 高辻 一條 外様 新家 蔵米30石
3人扶持
儒学[5] 中納言 子爵
半家 舟橋家 清原氏広澄流 - 近衞 内々 旧家 405石 明経博士 非参議 子爵
半家 伏原家 清原氏(広澄流) 舟橋 九條 外様 新家 230石 明経道 非参議 子爵
半家 澤家 清原氏(広澄流) 舟橋 九條 外様 新家 蔵米30石
3人扶持
- 非参議 伯爵
半家 土御門家 阿倍氏 - 近衞 外様 旧家 183石 天文道・暦道・陰陽道
陰陽頭
非参議 子爵
半家 倉橋家 阿倍氏 土御門 一條 外様 新家 150石 陰陽道[5] 非参議 子爵
半家 藤波家 大中臣氏 - 一條 外様 旧家 172石 伊勢祭主
神祇大副
非参議 子爵
半家 吉田家 卜部氏 - 近衞 外様 旧家 766石 神祇道・吉田社職[5]
神祇管領長上[16]
・神祇大副
非参議 子爵
半家 萩原家 卜部氏 吉田 近衞 内々 新家 1,000石 神祇道・豊国社務[5] 非参議 子爵
半家 錦織家 卜部氏 吉田 近衞 外様 新家 蔵米30石
3人扶持
- 非参議 子爵
半家 藤井家 卜部氏 - 鷹司 外様 新家 蔵米30石
3人扶持
神祇道・平野社務[5] 非参議 子爵
半家 錦小路家 丹波氏 - 近衞 外様 旧家 蔵米30石
3人扶持
医道 非参議 子爵
半家 北小路家 大江氏[17] - 近衞 内々 旧家 100石 - 非参議 子爵

脚注

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  1. ^ 米田雄介堂上家」『世界大百科事典〈改訂新版〉』https://kotobank.jp/word/%E5%A0%82%E4%B8%8A%E5%AE%B6コトバンクより2024年4月27日閲覧 “しだいに昇殿をゆるされる家柄が固定した。摂家・清華・大臣家や羽林家・名家などの家格のものがそれに当たるが,前3家を除いて平堂上家(ひらとうしようけ)ということもある。”
  2. ^ 中納言をいったん辞任することなく、そのまま大納言に任ぜられることを「直任」といい、中納言を辞職してから大納言に任ぜられるより格上とされた。「宣任の例が多い」は、一度でも「直任」の例があることを指す(浅見雅男『華族誕生』参照)。
  3. ^ a b c d e 藤氏長者勧学院別当
  4. ^ 五摂家筆頭 陽明家と称す
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap 『公卿諸家系図』
  6. ^ 桃華坊と称す
  7. ^ 別称轉法輪家
  8. ^ a b 源氏長者淳和院奨学院両別当
  9. ^ 蔵米参照
  10. ^ 園池公屋正親町三条実昭猶子となったため、閑院流正親町三条庶流となった。
  11. ^ 藤原北家閑院流西園寺庶流四辻公遠の子・四辻嗣良高倉範久の嗣子となり、高倉家を再興し、寛永14年(1637年)に高倉から藪に改姓した。以後、室町(四辻)家の血統により、室町流を称する。庶流に中園家・高丘家がある。この南家高倉流は、閑院家に従属している。
  12. ^ a b c d e 五堂上家[要出典](「道隆の系譜から5家の堂上家が生まれた」という趣旨で「道隆流から五堂上家が出た」という例はあるが、「五堂上家」という成語は確認し得ない。)
  13. ^ 高倉永家の子・堀河親具は当初、水無瀬親氏の養子となっていたが、後に養父に実子が生まれ、疎んじられて家を追われたために出家し、東国徳川家康寄寓きぐうした。天正13年(1585年)、家康が上洛した際に親具もこれに従って帰京し、家康の計らいで親具に堀河の家号が与えられて新家創設が許されたが、親具が出家していたために、代わって長男堀河康胤に継がせて堀河家を興させた。後に次男の樋口信孝樋口家を創設した。血統上は高倉系であるが、水無瀬系庶流扱いとなる。
  14. ^ 是定王氏長者
  15. ^ 他に神祇領・神事料100石
  16. ^ これは官職ではなく吉田兼倶が用い始めた僭称せんしょうである。
  17. ^ 弘化4年12月17日(1848年1月22日)に地下家から格上となった。俊常が六位蔵人極﨟ごくろう(最先任)を祖父から三代続けて勤めたことによる。なお、分家の北小路家は俊矩の代に半家に格上げされるものの、堂上昇進が遅れたため男爵にしかなれなかった。

参考文献

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  • 『公卿諸家系図 : 諸家知譜拙記』続群書類従完成会、1966年。ISBN 4-7971-0483-X
  • 浅見雅男『華族誕生 : 名誉と体面の明治』リブロポート、1994年。  ※のち中公文庫、1999年。講談社学術文庫、2015年。

関連文献

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関連項目

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