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藤原経衡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤原 経衡(ふじわら の つねひら、寛弘2年(1005年) - 延久4年6月20日1072年7月8日))は、平安時代中期から後期にかけての貴族歌人藤原北家真夏流甲斐守・藤原公業の子。官位正五位下大和守

経歴

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後一条朝蔵人所雑色を経て、長元4年(1031年六位蔵人に補せられる。長元6年(1033年左近衛少将藤原資房殿上にて乱闘に及び、経衡は殿上を除籍された。のち、大学頭や、甲斐守筑前守大和守などの受領を歴任し、位階正五位下に至った。

後三条朝末の延久4年(1072年)6月20日卒去享年68。

人物

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和歌六人党の一人。勅撰歌人として『後拾遺和歌集』(8首)以下の勅撰和歌集に16首が入集[1]。家集に『経衡集』があるほか、『経衡十巻抄』(散逸)を撰集した[2]治暦4年(1068年後三条天皇大嘗会において和歌を詠む[2]。『権大納言源師房家歌合』『左京大夫道雅障子絵合』『祐子内親王家歌合』などに出詠した。

官歴

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系譜

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尊卑分脈』による。

  • 父:藤原公業
  • 母:藤原敦信の娘
  • 妻:慶滋為政の娘
    • 男子:藤原業綱または業経(?-1090)
    • 男子:藤原基国
  • 生母不詳の子女
    • 男子:厳寛

脚注

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  1. ^ 『勅撰作者部類』
  2. ^ a b c d 『尊卑分脈』
  3. ^ a b c 『左経記』
  4. ^ 「諸道勘文」『大日本史料』2編3巻74頁
  5. ^ 『鎌倉遺文』157

参考文献

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外部リンク

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  • 藤原經衡集『新日本古典籍総合データベース』
  • 經衡集『新日本古典籍総合データベース』