藤原近主
表示
時代 | 平安時代初期 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 従五位上、土佐守 |
主君 | 仁明天皇→文徳天皇 |
氏族 | 藤原式家 |
父母 | 父:藤原吉野、母:不詳 |
兄弟 | 近峯、真峯、近主、良近、延命 |
妻 | 不詳 |
子 | 後世(俊世)、本行 |
藤原 近主(ふじわら の ちかぬし)は、平安時代初期の貴族。藤原式家、中納言・藤原吉野の三男。官位は従五位上・土佐守。
経歴
[編集]仁明朝の承和6年(839年)従五位下に叙爵。承和9年(842年)承和の変が発生し、父・吉野が大宰員外帥に左遷されると、春宮大進を務めていた近主も伯耆権介に左遷された。5年後の承和14年(847年)に入京を赦され、翌承和15年(848年)備中介に任官して官界に復帰した。
文徳朝でも斉衡2年(855年)常陸介、時期不明ながら土佐守を務める等地方官を務め、この間の斉衡3年(856年)に従五位上に叙せられている。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上。蔵人[1]。春宮大進
- 承和6年(839年) 正月7日:従五位下
- 承和9年(842年) 7月26日:伯耆権介
- 承和14年(847年) 2月10日:令入京
- 承和15年(848年) 2月3日:班河内和泉田使次官。2月14日:備中介
- 斉衡2年(855年) 11月20日:常陸介
- 斉衡3年(856年) 正月7日:従五位上
- 時期不詳:土佐守[1]
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。
- 父:藤原吉野
- 母:不詳
- 生母不詳の子女
- 男子:藤原後世(または俊世)
- 男子:藤原本行