藤原道継
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時代 | 奈良時代 - 平安時代初期 |
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生誕 | 天平勝宝8歳(756年) |
死没 | 弘仁13年2月24日(822年3月21日) |
官位 | 従四位下、右京大夫 |
主君 | 桓武天皇→平城天皇→嵯峨天皇 |
氏族 | 藤原北家 |
父母 | 父:藤原小黒麻呂 |
兄弟 | 葛野麻呂、道継、道雄、上子 |
子 | 藤原三藤室 |
藤原 道継(ふじわら の みちつぐ)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族。藤原北家、大納言・藤原小黒麻呂の次男。官位は従四位下・右京大夫。
経歴
[編集]延暦10年(791年)ら従五位下に叙爵し、大監物次いで右大舎人助に任ぜられる。
その後、桓武朝後半から平城朝にかけて任官記録が残っていないが、嵯峨朝に入り、大同5年(810年)に発生した薬子の変終結後に左兵衛佐に任ぜられ、再び『六国史』上に現れる。その後は、弘仁2年(811年)正五位下、弘仁4年(813年)従四位下と俄に昇進し、弘仁3年(812年)下野守、弘仁6年(815年)大舎人頭次いで右京大夫を歴任した。
弘仁13年(822年)2月24日卒去。享年67。最終官位は散位従四位下。
人物
[編集]才能があるとの評判はなかったが、多少の武芸を心得ていた。酒と鷹を好み、年を経て益々愛好の度合いが増したという[1]。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 延暦10年(791年) 正月7日:従五位下。3月21日:大監物。7月4日:右大舎人助
- 時期不詳:従五位上
- 弘仁元年(810年) 9月27日:左兵衛佐
- 弘仁2年(811年) 6月1日:正五位下
- 弘仁3年(812年) 正月12日:下野守
- 弘仁4年(813年) 正月7日:従四位下
- 弘仁6年(815年) 正月14日:大舎人頭。7月13日:右京大夫
系譜
[編集]脚注
[編集]- ^ 『日本後紀』弘仁13年2月24日条