藤吉優
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県那珂川市 |
生年月日 | 1996年8月7日(28歳) |
身長 体重 |
180 cm 74 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 2014年 育成選手ドラフト3位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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藤吉 優(ふじよし まさる、1996年8月7日 - )は、福岡県那珂川市出身[1]の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。プロでは育成選手であった。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]那珂川町立安徳北小学校(当時)の頃に[1]「今光ライオンズ」でソフトボールを始める[2]。那珂川町立那珂川中学校(当時)に進学してからはボーイズリーグの「福南ボーイズ」に所属する[3]。
熊本県八代市にある秀岳館高等学校への進学[1]後は、1年生の秋季熊本大会から捕手としてスタメンに起用[4] 。後に主将へ就任した。在学中は春夏共に阪神甲子園球場での全国大会へ出場できなかった[5]ものの、 3年生の春には春季九州大会に進出[6]。3年夏の第96回全国高等学校野球選手権選手権熊本大会では、東海大星翔高等学校との3回戦で延長11回の末に0-1というスコアで敗れたものの、投手として1回1/3イニングを投げている[7]。
2014年のNPB育成ドラフト会議で、中日ドラゴンズから3巡目で指名。育成選手として入団した。背番号は207。
中日時代
[編集]2015年には、右肘を故障した影響で、ウエスタン・リーグ公式戦1試合の出場にとどまった。シーズンの終了後には、同郷(福岡県出身)の先輩投手・若松駿太と共に自主トレーニングを敢行している[8]。
2016年には、ウエスタン・リーグ公式戦6試合に出場。2得点を記録したものの、打撃面では1打席1三振でシーズンを終えた。
2017年には、ウエスタン・リーグ公式戦16試合に出場。プロ初安打と3得点を記録したが、打率は.129(31打数4安打)にとどまった。シーズン終了後は、育成選手に関するNPBの規定で10月31日に自由契約選手として公示された[9]が、11月18日に育成選手として再契約[10]。しかし、12月8日に退団が発表された[11]。アマチュア野球への復帰[10]を前提に、「環境を変えてやり直したい」という意向を球団に申し入れたことによる[11]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 207 (2015年 - 2017年)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c “選手名鑑 捕手 ※育成選手 207 藤吉 優”. 中日ドラゴンズ公式ウェブサイト. 2017年8月5日閲覧。
- ^ “今光ライオンズでは、部員を募集しています。”. 今光ライオンズ公式facebook (2016年2月28日). 2017年8月5日閲覧。
- ^ “新着情報 2014/10/27”. 福南ボーイズオフィシャルサイト (2014年10月27日). 2017年8月5日閲覧。
- ^ “第131回 九州地区高等学校野球熊本大会 一回戦 第二試合”. 熊本県高等学校野球連盟 (2012年9月21日). 2017年8月5日閲覧。
- ^ “解説者の秀岳館・鍛治舎監督夏1勝/熊本”. 日刊スポーツ (2014年7月12日). 2017年8月5日閲覧。
- ^ “春季九州大会(2014年) 西日本短大付―秀岳館(1回戦)”. 朝日新聞デジタル バーチャル高校野球 (2014年4月19日). 2017年8月5日閲覧。
- ^ “第96回全国高校野球選手権熊本大会 東海大星翔―秀岳館(3回戦)”. 朝日新聞デジタル バーチャル高校野球 (2014年7月15日). 2017年8月5日閲覧。
- ^ “中日育成の藤吉は現状維持 飛躍へ若松と自主トレ”. 日刊スポーツ (2015年11月16日). 2017年8月5日閲覧。
- ^ “自由契約選手(育成選手)|2017年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2017年10月31日). 2017年11月1日閲覧。
- ^ a b “【中日】育成・藤吉の退団を発表「本人の意思を尊重した」”. スポーツ報知 (2017年12月8日). 2017年12月8日閲覧。
- ^ a b “中日「本人の意思を尊重」育成の藤吉優が自主退団”. 日刊スポーツ (2017年12月8日). 2017年12月8日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 藤吉優 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手名鑑 捕手 ※育成選手 207 藤吉 優 - 中日ドラゴンズ公式ウェブサイト
- 藤吉優 (@msrdora0807) - X(旧Twitter)