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藤堂高明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤堂高明
時代 江戸時代
生誕 正保2年10月22日1645年12月10日
死没 宝永8年3月15日1711年5月2日
改名 小太夫(初名)→高明
別名 八郎左衛門、縫殿、舎人、出雲(通称)
主君 藤堂高次高久高睦高敏
伊勢国津藩
氏族 藤堂氏
父母 父:藤堂高英、母:藤堂玄綱の娘
兄弟 高明、高利、高溥、高尚、高貞、藤堂式部室、藤堂内蔵室、長井勘左衛門室
正室:長氏、継室:藤堂良忠の娘
高任、高武、高能、高治
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藤堂 高明(とうどう たかあき)は、伊勢国津藩一門藤堂出雲家第3代。第6代藩主藤堂高治の父。

家系

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藤堂出雲家は、藤堂高虎の異母弟高清に始まる。宗家の津藩主5代藤堂高敏で高虎の血統が絶え、高明の四男高治が養子として6代藩主となって以降は藩主が出雲家の血を引くこととなる。 文武に秀でた人物を多く輩出している。藤堂高英陸軍中将は子孫。

略歴

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正保2年(1645年)10月22日、津藩騎将(番頭)藤堂高英の子として生まれる。承応元年(1652年)3月、幕府の証人として江戸に下る。

寛文5年(1665年)、大名の家臣に対する証人制度の廃止後も江戸に留まり、寛文8年(1668年)4月25日に津に戻る。

元禄17年(1704年)2月17日に父高英が死去し、4月17日に知行7000石、藤堂出雲家の家督を相続し、騎将となる。

宝永8年(1711年)3月3日に隠居し、同月15日に死去。享年67。家督は嫡男の高武が相続した。

その他

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四男の藤堂高治は享保8年(1723年)9月、藤堂高陳の養子となり久居藩主となる。さらに享保13年(1728年)、藤堂高敏の養子として津藩主となった。以降、高虎の血統は断絶し高清、高明の子孫が代々津藩、久居藩の藩主となる。

参考文献

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