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藤堂高治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤堂高治
藤堂高治像
時代 江戸時代中期
生誕 宝永7年8月19日1710年9月12日
死没 享保20年8月2日1735年9月18日
改名 小次郎・幸之進(幼名)→高治
戒名 長空院殿智風高達権大僧都
墓所 三重県津市の寒松院
三重県伊賀市の上行寺
官位 従五位下大膳亮従四位下大学頭
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
伊勢久居藩主→伊勢津藩
氏族 藤堂氏
父母 藤堂高明:貞性院
兄弟 高武高治
正室宗義誠の娘
側室:上田氏、村瀬氏、田野氏
高般、岸
養子高朗
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藤堂 高治(とうどう たかはる)は、伊勢国津藩の第6代藩主。元は津藩の支藩である伊勢久居藩の第4代藩主久居陣屋の主。藤堂家宗家6代、久居藩藤堂家4代。父は、津藩の藩祖・藤堂高虎の弟・高清の孫で、一門の藤堂出雲家第3代の藤堂高明

生涯

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享保8年(1723年)9月13日、伊勢久居藩の先代藩主である高陳が病のために隠居した。高陳には嗣子がなかったため、高治が跡を継いだ。同年10月1日、将軍徳川吉宗御目見する。同年12月18日、従五位下・大膳亮に叙任する。

享保13年(1728年)4月、本家の伊勢津藩主・藤堂高敏疱瘡が原因で死去した。同年6月11日、高敏にも嗣子がなかったため、久居藩主であった高治がその養嗣子となって本家の家督を継いだ。久居藩の家督は高治の甥で養嗣子の高豊(のちの高朗)が継いだ。同年7月1日、将軍徳川吉宗に御目見する。同年12月21日、従四位下に昇進する。享保15年12月15日(1731年)、侍従に任官する。

藤堂高治の墓(津市寒松院)

高治は津藩の荒廃した農村復興などに努め、さらに学問を奨励した。享保20年8月2日1735年9月18日)、26歳で死去した。家督は久居藩主の高朗が継いだ。

系譜

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