藤堂高節
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藤堂 高節 (とうどう たかせつ、? - 明治20年(1887年)4月10日)は、津藩士名張藤堂家(藤堂宮内家)第11代。伊賀国名張1万5000石の領主。
幼名は八束。初名は長発。通称は宮内、九八郎。父は藤堂采女家第8代藤堂元晋、兄は同第9代藤堂元施。正室は藤堂長親の娘。子は藤堂高文、藤堂高碩、藤堂高成室郁子。養子は藤堂高成。
文久4年(1864年)8月、名張藤堂家の先代高美が養子入り後まもなくして病死したため、その養子となって、元治元年(1864年)12月、名張藤堂家を継いだ。明治に入って名前を長発から高節に改めた。以降、子孫は名張藤堂家の遠祖である丹羽家由来の通字の「長」ではなく、藤堂家由来の「高」の字を名乗っている。
明治9年(1876年)2月、子爵竹内治則の子・憲丸(藤堂高成)を次女いくの婿養子とする。
明治20年(1887年)没。墓所は名張市徳蓮院。