藤岡覚音
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藤岡 覚音(ふじおか がくおん、文政6年(1823年) - 明治40年(1907年)8月23日)は、日本の宗教家。幕末から明治時代の僧。
概略
[編集]文政6年(1823年)10月3日、肥後国宇土郡網津村浄蓮寺(現・熊本県宇土市)生まれ。家は代々浄蓮寺の住職。7歳より6年間漢文を学び、13歳より10年間、上益城郡六嘉村(現・同上益城郡嘉島町)の司教門生師、及び筑前国西郷村の勧学玄雄師に宗学を学ぶ。嘉永6年(1853年)、熊本県宇城市小川町西海東の正覚寺(浄土真宗本願寺派)、第13世住職となる[1]。
浄土真宗の宗学のかたわら、自坊に龍水学館と称する学寮を起こし、数多くの子弟を教えた。明治36年(1903年)勧学に。明治40年(1907年)8月23日死去。85歳[2]。
著書
[編集]- 広文類論題六巻
- 安楽集録
- 正像末讃録、ほか
出典
[編集]参考文献
[編集]- 下田曲水編『肥後名僧伝』熊本県教育会、1927年、130頁
- 海東村史編纂委員会編纂『海東村史』海東村役場、1952年
- 海東小学校創立百周年記念事業期成会『海東小学校創立百周年記念誌』海東小学校、1976年