藤田圭雄
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藤田 圭雄(ふじた たまお、1905年11月11日 - 1999年11月7日)は、日本の編集者・児童文学作家・評論家。
略歴
[編集]東京牛込生まれ。父は歴史家(東大史料編纂所編纂官)の藤田明(1877-1915)。伯父に正木直彦。11歳で父を亡くす。開成中学校卒、1930年早稲田大学独文科卒。平凡社に勤務、滝沢修らと演劇運動に関わる。1933年中央公論社に入社、児童文化関係の出版に携わる。戦後、サトウ・ハチローと協力して童謡運動を展開、実業之日本社で『赤とんぼ』を編集、1948年同誌休刊により中央公論社に復帰。1950年理事、取締役、婦人公論編集部長、1953年中央公論編集部長、1960年定年。1972年『日本童謡史』で日本児童文学者協会賞受賞。1977年『解題戦後日本童謡年表』で日本児童文学学会賞受賞。1985年巖谷小波文芸賞特別賞受賞。童話も書いた。第10代日本児童文学者協会会長を務め(のち名誉会長)、長く児童文学評論界の重鎮であった。川端康成、美智子皇后と親しかった。
著作
[編集]- 『たのしく科学を』日新書院 1948
- 『新しい生活のくふう』牧書店 1954
- 『くらしの12か月』牧書店 1959
- 『うたうポロンくん』小峰書店 1962
- 『とんちゃんよさようなら はっきりもののいえる子にする童話』実業之日本社 1963
- 『うたのないきゅうかんちょう』フレーベル館 1964
- 『少年少女東京オリンピック全集2 美しい人間像』黎明書房 1965
- 『ふたつのたいよう』あかね書房 1965
- 『ぼくは海賊・子どもの詩集』フレーベル館、1965
- 『童謡歳時記』牧書店 1965
- 『けんちゃんあそびましょ』講談社 1966、講談社青い鳥文庫 1981
- 『コトバ・ことば・言葉』牧書店 1967
- 『けんちゃんしっかり!』講談社 1968
- 『山が燃える日』講談社 1969
- 『歌の中の日本語』朝日新聞社 1970
- 『日本童謡史』あかね書房 1971
- 『まいごになったおうむ』至光社 1971
- 『おじいさんのばいおりん』至光社 1972
- 『地球の病気』国土社 1975、新版2002
- 『甲子園の土』講談社 1976
- 『解題戦後日本童謡年表』東京書籍 1977
- 『ハワイの虹 随筆集』晩成書房 1978
- 『詩と童話の世界』教育出版センター 1985
- 『チンチン電車の走る街 大正しりとりうた』金の星社 1985
- 『月の絵本 少年詩集』理論社 1985
- 『東京童謡散歩』東京新聞出版局 1988
- 『童謡の散歩道』日本国際童謡館 1994
翻訳
[編集]- あおくんときいろちゃん レオ・レオニ 至光社 1967
- 金の星の子どもたち L.ベヒシュタイン あかね書房 1969
- はる・なつ・あき・ふゆのうた R・クローク 岩崎書店 1972
- しょうぼうねこ エスター・アベリル 文化出版局 1974、新版1993
- おかしなおかしなきりんくん シェル・シルバースタイン 実業之日本社 1976
- フィリポのまほうのふで ミッシャ・ダムヤン 佑学社 1978
- ゆめうらないのえほん ワルター=シュメグナー 講談社 1979
- ボドニック シュテパン・ツァフレル ほるぷ出版 1979
- あるふゆのものがたり マックス・ボリガー フレーベル館 1981
- うたのすきなぞう ギーナ・ルック=ポーケ ほるぷ出版 1985
- おうむとあみもの マックス・クルーゼ 至光社 1988
作詞
[編集]- ことばの歌(第36回NHK全国学校音楽コンクール中学校の部課題曲)
- 日記帳(小林秀雄作曲)
- 日光市立湯西川小中学校校歌(長谷川良夫作曲)[1]
- 松戸市立常盤平第三小学校校歌
脚注
[編集]参考
[編集]- 日本近代文学大事典
- 中央公論社の八十年
- 「ハワイの虹」