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藤田文蔵 (建築家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤田 文蔵(ふじた ぶんぞう、生年不詳 - 1978年昭和53年[1]))は、日本の建築家

経歴

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1921年(大正10年)に宮内省宮内技手補として採用される[1]。翌年に宮内技手となり、済寧館や二代目宮内省庁舎、東宮仮御所、楽部庁舎などを手がけ、権藤要吉の右腕として活躍した[1]

1941年(昭和16年)に技手の主事となり、ほぼ技師に準じた地位を得た[1]。翌1942年(昭和17年)に退官したと考えられる[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e 『皇室建築 内匠寮の人と作品』427頁。

参考文献

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  • 鈴木博之監修、内匠寮の人と作品刊行委員会編『皇室建築 内匠寮の人と作品』建築画報社、2005年。
  • 9072 明治宮殿造営組織における図工の採用状況と堂宮大工の参加経緯 : 相模国大山大工・手中家の日記から(日本近代:作家論(3),建築歴史・意匠,2012年度大会(東海)学術講演会・建築デザイン発表会) 小沢朝江 学術講演梗概集 2012(建築歴史・意匠), 143-144, 2012年9月
  • 小沢朝江、「明治宮殿造営組織における図工の職務と就業状況」 『日本建築学会技術報告集』 2013年 19巻 42号 p.757-760, doi:10.3130/aijt.19.757
  • 小野木重勝、皇居造営機構と技術者構成 『日本建築学会論文報告集』 1972年 195巻 p.75-81,98, doi:10.3130/aijsaxx.195.0_75
  • 遠藤明久博士のご質疑に対する回答 小野木 重勝 日本建築学会構造系論文集 201(0), 93-94, 1972