コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

藤谷為寛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤谷為寛
ふじたに ためちか
生年月日 1865年6月8日
出生地 日本の旗 日本 山城国京都
(現京都府京都市)
没年月日 (1936-01-12) 1936年1月12日(70歳没)
所属政党 研究会
配偶者 藤谷昭子

在任期間 1909年7月10日 - 1932年7月9日
テンプレートを表示

藤谷 為寛(爲寛、ふじたに ためちか、1865年6月8日(慶応元年5月15日[1])- 1936年昭和11年)1月12日[1][2])は、明治から昭和期の政治家華族貴族院子爵議員。幼名・琴麿[3]

経歴

[編集]

山城国京都越前権介藤谷為遂の三男[注 1]として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1877年(明治10年)6月1日に家督を継承し[1][3][4]1880年12月、為寛と改名[3]1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[5]

1883年(明治16年)殿掌に就任[2]1909年(明治42年)7月10日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]研究会に所属して活動し、1932年(昭和7年)7月9日まで4期在任した[2]

親族

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 『人事興信録』第10版 下、フ68頁では長男。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成 下巻』451頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』53頁。
  3. ^ a b c d 『大日本華族大鑑』186頁。
  4. ^ 『人事興信録 第10版 下』フ68頁。
  5. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、17頁。
  7. ^ 『官報』第7814号、明治42年7月13日。

参考文献

[編集]
  • 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
叙爵
子爵
藤谷家初代
1884年 - 1936年
次代
藤谷為隆