藻利重隆
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人物情報 | |
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生誕 |
1911年11月30日 日本 愛媛県松山市 |
死没 | 2000年2月18日(88歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京商科大学(現一橋大学)卒業 |
学問 | |
研究分野 |
経営学 労務管理 ドラッカー経営学説の研究 |
研究機関 |
東京商科大学 名古屋高等商業学校(現・名古屋大学) 東京産業大学 一橋大学 中央大学 山梨学院大学 |
指導教員 | 増地庸治郎 |
主な指導学生 | 田島壮幸、平田光弘、村瀬哲司 |
学位 | 博士(商学) |
称号 |
一橋大学名誉教授 山梨学院大学名誉教授 |
学会 |
日本経営学会 社団法人日本労使関係研究協会 日本経済学会連合 |
主な受賞歴 |
紫綬褒章(1976年) 勲二等瑞宝章(1982年) 叙従三位(2000年) |
藻利 重隆(もうり しげたか、1911年11月30日 - 2000年2月18日)は、日本の経営学者。専門は労務管理。一橋大学名誉教授、山梨学院大学名誉教授である。博士(商学)(1960年、一橋大学にて取得)。紫綬褒章及び勲二等瑞宝章受章。元日本経営学会理事長。
人物
[編集]増地庸治郎門下[1]で、研究による真理探究及びそれに基づく社会改良に経営学の価値を求めた[2]。またドラッカーの経営学説を早い時期に紹介し、批判した経営学者でもある。(1959年 ドラッカー経営学説の研究 森山書店など) 1976年に経営学上の業績が評価され紫綬褒章を受章した。1982年勲二等瑞宝章受章。2000年叙従三位。
また教育者として名古屋高等商業学校(名古屋大学経済学部の前身)教授、一橋大学教授、中央大学教授等として教鞭をとり、1974年には教育功績者として文部大臣より表彰を受けた。
ゼミの教え子に田島壮幸一橋大学名誉教授、平田光弘一橋大学名誉教授[3]、村瀬哲司京都大学名誉教授、林栄夫元東京都立大学 (1949-2011)教授[4]、山岡煕子東京都立商科短期大学名誉教授[5]、村田和彦一橋大学名誉教授[6]、昆虫研究家の阿部光典元東京国際大学教授[7]などがいる。
略歴
[編集]- 愛媛県松山市出身。
- 1924年3月 愛媛師範学校附属小学校(愛媛大学教育学部附属小学校の前身)卒業
- 1929年3月 愛媛県立松山商業学校(愛媛県立松山商業高等学校の前身)卒業
- 1929年4月 山口高等商業学校(山口大学経済学部の前身)無試験入学
- 1930年4月 - 1932年3月 山口高等商業学校特待生
- 1935年3月 東京商科大学(一橋大学の前身)卒業(増地庸治郎ゼミナール)
- 1936年2月 東京商科大学研究科中退、名古屋高等商業学校(名古屋大学の前身)講師就任
- 1937年8月 大日本帝国陸軍輜重兵特務兵就任
- 1938年3月 大日本帝国陸軍輜重兵一等兵昇進、名古屋高等商業学校教授就任
- 1946年11月 東京産業大学(一橋大学の前身)助教授就任
- 1949年5月 一橋大学助教授
- 1950年6月 一橋大学教授昇任
- 1960年3月 一橋大学商学博士
- 1962年12月 一橋大学商学部長就任
- 1975年4月 中央大学商学部教授、一橋大学名誉教授
- 1982年4月 山梨学院大学教授就任
- 1988年 山梨学院大学退職、山梨学院大学名誉教授
社会的活動
[編集]- 1949年 労働省技能者養成委員会委員就任
- 1950年 - 1951年 通商産業省産業合理化審議会専門委員
- 1969年 文部省学術審議会専門委員就任
- 1969年 学校法人松山商科大学(松山大学の前身)評議員就任
- 文部省大学設置審議会専門委員
- 大蔵省公認会計士審査会試験委員
学会活動
[編集]- 1977年 日本経営学会理事長[8]
- 1968年 社団法人日本労使関係研究協会理事就任
- 1972年 - 1975年 日本経済学会連合理事
脚注
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