日本経営学会
にほんけいえいがっかい 日本経営学会 | |
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英語名称 | Japan Academy of Business Administration |
略称 | JABA |
専門分野 | 経営学系 |
設立 | 1926年7月10日 |
理事長 | 出見世信之(明治大学) |
事務局 |
日本 〒162-0808 東京都新宿区天神町78 日本経営学会事務所 |
会員数 | 2,000名弱(2024年現在[1]) |
刊行物 | 『日本経営学会誌』 |
表彰 | 日本経営学会賞 |
ウェブサイト | https://keiei-gakkai.jp/ |
日本経営学会(にほんけいえいがっかい、英: Japan Academy of Business Administration, JABA)は、日本の経営学者・研究者・院生を対象とした学術組織である。1926(大正15/昭和元)年7月10日に設立され、経営学・商学の研究と普及のため、「研究者の協同及び懇談」の場となり、「経営学・商学に関する内外の学会その他の団体との連絡」を行うことを目的とする。1924年にドイツ経営学会が設立され[2]、日本経営学会はドイツ経営学会に続いて世界で2番目に設立されている。なお、1936年にアメリカ経営学会が設立されている[3]。
1926年第1回大会(第1集)統一論題は会計士(計理士)制度であった。司会者は東京商科大学初代学長佐野善作であり、大会委員長は上田貞次郎であった。大会決議により、会計士制度についての建議書を政府へ提出した。
統一論題報告 | 氏名 |
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欧米に於ける会計士制度 | 東京帝国大学 渡辺銕蔵 |
本邦に於ける会計士の沿革及現状 | 明治大学 中村茂男(東京高等商業学校(現:一橋大学)専門部卒業) |
会計士観の種々相 | 神戸高等商業学校 平井泰太郎 |
講演 | 氏名 |
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予算に依る事業の統制管理 | 東京商科大学 吉田良三 |
我邦に於ける信託事業の現状 | 三井信託株式会社 野守廣 |
事業の集中統一と独逸に於ける資本合同に現はれたる合理化主義に就いて | 大阪高等商業学校 村本福松 |
資本市場の組織及び職能─特に金融機関の相互作用に就いて─ | 慶應義塾大学 向井鹿松 |
現代労働の心理的特徴 | 東京商科大学 高垣寅次郎 |
株式会社の将来 | 東京商科大学 上田貞次郎 |
火災保険料率協定の意義 | 神戸高等商業学校 瀧谷善一 |
概要
[編集]現理事長は出見世信之。日本学術会議の協力学術研究団体である。
学会史
[編集]創立会議
[編集]大正15年7月10日午後3時、丸の内生命保険協会で開催される。
学会名について
- 日本経営学会を可とするもの 27名
- 日本商学会を可とするもの 12名
日本経営学会と決定する。なお、昭和26年4月21日、日本商業学会が向井鹿松を初代会長として設立された[4]。
出席者
大分高商(碓氷厚次)、大阪高商(村本福松)、小樽高商(室谷賢治郎)、海軍大学(林貞雄)、慶應義塾(向井鹿松)、高岡高商(川連淳一)、中央大学(橋本民平)、東京帝大(馬場敬治)、東洋協会(青山楚一)、大倉高商(関太一、渡部寅二)、海軍経理学校(武井大助、茂木知二)、関西学院(小寺敬一、池内信行)、神戸高商(瀧谷善一、田中金司、平井泰太郎)、東京商科大学(佐野善作、上田貞次郎、内池廉吉、石川文吾、藤本幸太郎、井浦仙太郎)、内藤章、高垣寅次郎、増地庸治郎)、名古屋高商(國松豊)、彦根高商(白柳元吉、原田博治)、日本大学(井上貞蔵、松葉栄重)、福島高商(江藤誠之、茂木修三)、法政大学(高橋一太郎)、明治大学(中村茂男)、山口高商(大野弥曽次)、横浜高商(小宮山敬保、井上鎧三)、立教大学(大堀市治郎)、和歌山高商(田中保平)、早稲田大学(小林行昌、小林新、長谷川安兵衛、末高信) |
創立時の役員
[編集]発起署名者については太字で表記する。後に、理事長制度を導入するまで、5常務理事合議制であった。
常務理事
東京商科大学教授(上田貞次郎)、東京帝国大学助教授(中西寅雄)、神戸高等商業学校教授(平井泰太郎)、東京商科大学(増地庸治郎)、大阪高等商業学校教授(村本福松) |
理事
日本大学教授(井上貞蔵)、名古屋高等商業学校教授(国松豊)、京都帝国大学教授(小島昌太郎)、関西学院教授(小寺敬一)、早稲田大学教授(小林行昌)、東京商科大学教授(高垣寅次郎)、神戸高等商業学校教授(瀧谷善一)、明治大学教授(中村茂男)、慶應義塾大学教授(向井鹿松)、東京帝国大学教授(渡辺銕蔵) |
神戸高等商業学校の滝谷善一氏等が熱心に主張し、全国の商業学及経営学研究団体を設けることになつた。最初滝谷氏等は商科大学及高商に限る考であつたらしかつたが、余の案で帝大、早大、慶応其他の私立大学商科を加盟せしむる事にした。……余は理事長格にかつぎあげられてゐる。 — 上田貞次郎『上田貞次郎日記 大正八年-昭和十五年』pp.111-112。上田貞次郎日記刊行会 昭和38年
歴代理事長
[編集]日本経営学会は当初の5常務理事制から昭和15年の上田貞次郎博士死去を経て、昭和16年以降、理事長制(理事60名以内、常務理事10名以内)を導入した。
代 | 期間 | 氏名 | 所属 | 備考 |
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1 | 昭和16(1941)年〜昭和21(1946)年 | 瀧谷善一 | 神戸商業大学(現神戸大学)教授 | 神戸市助役 |
2 | 昭和21(1946)年〜昭和23(1948)年 | 平井泰太郎 | 神戸商業大学(現神戸大学)教授 | 日本経営診断学会初代理事長 |
3 | 昭和23(1948)年9月1日〜昭和41(1966)年9月30日 | 高瀬荘太郎 | 一橋大学教授 | 文部大臣等 |
4 | 昭和41(1966)年10月1日〜昭和49(1974)年9月30日 | 古林喜楽 | 神戸大学教授 | 日本学術会議会員 |
5 | 昭和49(1974)年10月1日〜昭和52(1977)年9月30日 | 市原季一 | 神戸大学教授 | 日本学術会議会員 |
6 | 昭和52(1977)年10月1日〜昭和58(1983)年9月5日 | 藻利重隆 | 一橋大学教授 | |
7 | 昭和58(1983)年9月6日 〜平成元(1989)年9月12日 | 海道進 | 神戸大学教授 | 日本労務理論学会初代会長 |
8 | 平成元(1989)年9月13日〜平成7(1995)年9月7日 | 田島壮幸 | 一橋大学教授 | |
9 | 平成7(1995)年9月8日〜平成10(1998)年9月10日 | 森昭夫 | 神戸大学教授 | |
10 | 平成10(1998)年9月11日〜平成13(2001)年9月7日 | 野口祐 | 慶応大学教授 | 日本学術会議会員、ベルリン自由大学客員教授、パリ大学客員教授。日本経営学会設立の年に生誕し、慶応大商学部創立直後に商学部助教授となり、爾来、慶応大教授時代に門下生として経営学者50人以上を育てる[5][6]。アジア経営学会を創立し初代会長となる。 |
11 | 平成13(2001)年9月8日〜平成16(2004)年9月2日 | 片岡信之 | 桃山学院大学教授 | 神戸大学経営学部卒業。経営学史学会理事長、大連工業大学客座教授,陽光学院(福州)客座教授 |
12 | 平成16(2004)年9月3日 〜平成19(2007)年9月6日 | 小林俊治 | 早稲田大学教授 | |
13 | 平成19(2007)年9月7日〜平成22(2010)年9月3日 | 坂下昭宣 | 神戸大学教授 | |
14 | 平成22(2010)年9月4日〜平成25(2013)年9月5日 | 高橋俊夫 | 明治大学教授 | ドイツ経営学研究会会長、経営学会国際連合会長 |
15 | 平成25(2013)年9月6日〜平成28(2016)年9月1日 | 海道ノブチカ | 関西学院教授 | 神戸大学大学院修了。第7代目理事長海道進に続き、初めて親子2代での理事長となる。 |
16 | 平成28(2016)年9月2日〜令和元(2019)年9月4日 | 百田義治 | 駒澤大学教授 | 比較経営学会理事長 |
17 | 令和元(2019)年9月5日〜現在 | 上林憲雄 | 神戸大学教授 | 日本学術会議会員、日本学術振興会産学協力研究委員会経営問題第108委員会委員長 |
18 | 令和4(2022)年9月〜現在 | 出見世信之 | 明治大学教授 | 明治大学商学部長 |
学界展望
[編集]日本経営学会創設時の役員等の年齢は、上田(47)、瀧谷(43)、渡辺(41)、向井(38)、池内(32)、増地(30)、平井(30)、中西(30)、馬場(29)、室谷(26)等、みな若かった。その後、各自が様々な領域の学術団体に携わっていくことになる。
- 1937年、太田哲三(東京商科大学教授、上田貞次郎門下生、太田・黒澤賞)等を発起人として設立した。1926年日本経営学会第1回大会(第1集)統一論題は会計士(計理士)制度であり、大会決議により、会計士制度についての建議書を政府へ提出してきた背景があるように、元来、日本経営学会の中で会計学者も活躍してきた。日本会計研究学会設立後、会計学者は、日本経営学会以外に日本会計研究学会でも活動の場を広げている。
- 日本商業学会
- 1951年、向井鹿松を初代会長として設立される。
- 1959年、馬場敬治を初代会長として設立される。
- 経営史学会
- 1964年、脇村義太郎を初代会長として設立される。1960年10月23日、日本経営学会大会(於日本大学)後、薬業永田町会館にて経営史研究会発会する。1961年10月日本経営学会第三五回大会(於名古屋大学)で、経営史部門設立される。1964年、経営史学会の設立総会に向け、日本経営学会との調整を事前におこない、日本経営学会の有力者を経営史学会の理事に就任するように説得することが記録されている[7]。
- 日本労務学会
- 1970年12月5日、慶應義塾大学商学部教授森五郎を日本労務学会初代代表理事として設立される。人事労務分野(雇用・労働・組織・人事・労使関係)における学会である。日本経営学会において人事労務分野(雇用・労働・組織・人事・労使関係)を研究する学派が中心となり設立された。日本労務学会は労働政策研究研修機構労働大学校(独立行政法人)等とともに、日本の労働政策(企業の人事労務管理等)へ強い影響力を有する学術団体である。
- 1980年(昭和55年)10月11日(土)10時30分、慶応義塾大学三田校舎西校舎517番教室にて、山中篤太郎(一橋大学教授上田貞次郎門下、日本学術振興会産業構造・中小企業第118委員会初代委員長、元一橋大学学長)を初代会長として日本中小企業学会設立発起人会が行われる。
- 日本会計史学会
- アジア経営学会
- 1993年、東アジア経営学会国際連合(International Federation of East Asian Management Associations: IFEAMA;東連;出身母体:日本・中国・ロシア・韓国・モンゴル・ネパール)に加盟する日本組織として誕生した。日本経営学会第10代理事長野口祐(慶應義塾大学)を初代会長とする。アジアの経営学の研究と普及などを目的とする。
学会運営
[編集]- かつては、内規において、本会の事務所は当分の間,一橋大学内におく。と規定されていた。日本経営学会の所在地は一橋大学大学院商学研究科第二研究館商学研究室気付経営学部門共同研究室内であった。
- 理事の選挙は、東日本と西日本から各15名を選出する。
- 大会は、東日本と西日本において交互に開催する。
- 理事長の他、担当別の常任理事を置く。事例として、令和5年3月現在の担当を記載する[8]。
担当 | 氏名 | 出身校 |
---|---|---|
総務担当 | 田淵泰男 | 慶應大院 |
総務担当 | 上林憲雄 | 神戸大院 |
大会担当 | 井上善海 | 福岡大院 |
大会担当 | 古川靖洋 | 慶應大院 |
会計・事務所担当 | 木村有里 | |
国際担当 | 原拓志 | 神戸大院 |
学会誌担当 | 馬塲杉夫 | 慶應大院 |
学会誌担当 | 小沢貴史 | 神戸大院 |
学会賞担当 | 鈴木由紀子 | 慶應大院 |
広報担当 | 松田健 |
地方部会
[編集]- 関東部会
東京支部会は大正15年12月設立。
- 関西部会
昭和2年5月設立。日本経営学会関西部会事務所は神戸大学大学院経営学研究科内に置かれる。
経営学辞典
[編集]- 経営経済研究所編纂『現代経営学辞典』岩崎書店(昭和25年)が刊行された。のちに,編集した慶大教授森五郎,慶大教授小高泰雄が中心となり,10代会長野口祐他,神戸大学の2代会長平井泰太郎,5代会長市原季一,7代会長海道進等が加わり,経営経済研究所編集『経営全書』税務経理協会(昭和34年)から出版された。
- 平井泰太郎『経営学辞典』ダイヤモンド社(昭和27年)
- 藻利重隆編『経営学辞典』東洋経済新報社(1967年11月)
参考文献
[編集]- 池内信行「日本経営学会の成立」関西学院『商学評論』第5巻第2号(大正15年9月)
- 平井泰太郎「日本経営学会の成立」『国民経済雑誌』第41巻第2号
- 村本福松「正しい経営学」『新銀行実務』169号
- 山本安次郎『日本経営学五十年 回顧と展望』東洋経済新報社(昭和52年)
- 黒澤清編『会計学辞典』東洋経済新報社(昭和57年10月5日)
- 神戸大学経済経営学会編著『ハンドブック経営学[改訂版]』、ミネルヴァ書房、2016/4/11。ISBN 978-4623076734。
- 上林憲雄編著『経営学の開拓者たち: 神戸大学経営学部の軌跡と挑戦』中央経済社 (2021年)。ISBN 978-4502377518
脚注
[編集]- ^ 公式サイト 閲覧2024年7月17日
- ^ 古林喜楽「国際経営学学界に列して」『PR』第8巻第1号(昭和32年1月)
- ^ 永島敬識「Academy of Management(アメリカ経営学会)の動向」『経済系』第106集(昭和50年12月)
- ^ “学会HP”. 日本商業学会. 2022年1月14日閲覧。 個人会員1,072名,賛助会員11社・団体,購読会員32件 (2019年7月現在)
- ^ 藤井彌太郎「野口祐教授退任記念号にあたって(野口祐教授退任記念号)」『三田商学研究』第35巻第1号、慶應義塾大学、1992年4月、i-ii、CRID 1050845762322936704、ISSN 0544-571X。
- ^ 慶應義塾大学退任後、日本大学、創価大学でも教壇に立ち、更に数多の門下生を育てる。直接野口の謦咳に接した門下生達との著作として『経営学原理』編著 日本評論社 経営会計全書 1980年がある。
- ^ 経営史学会編『経営史学の二十年 回顧と展望』東京大学出版会,p346,1985年
- ^ 日本経営学会役員及び委員一覧