井浦仙太郎
井浦 仙太郎(いうら せんたろう、明治11年(1878年)6月10日[1] - 昭和30年(1955年)11月2日)は、日本の経済学者。東京商科大学(現一橋大学)名誉教授。位階は正三位。
人物・経歴
[編集]東京府士族[2]。1897年東京府尋常中学校(現東京都立日比谷高等学校)卒業[3]。1901年東京高等商業学校(現一橋大学)本科卒業。1903年同校専攻部卒業[4]。1904年福岡市立福岡商業学校(現福岡市立福翔高等学校)教諭[5]。1905年市立大阪高等商業学校(現大阪公立大学)教諭[6]。
1908年神戸高等商業学校(現神戸大学)教授[7]。1910年から1913年まで商業学研究のためアメリカ合衆国、ドイツ帝国、イギリスに留学[8]。1911年小樽高等商業学校(現小樽商科大学)教授[9]。
1914年小樽高等商業学校図書課長。1915年小樽高等商業学校図書館主幹[10]。1918年東京高等商業学校教授兼小樽高等商業学校教授[11]。1920年東京商科大学(現一橋大学)助教授兼東京商科大学附属商学専門部教授、小樽高等商業学校教授[12]、叙従五位[13]。
1922年勲五等瑞宝章受章[14]。1923年名古屋高等商業学校(現名古屋大学)講師[15]、叙正五位[16]。東京商科大学教授を経て、1926年教員検定委員会臨時委員[17]。1927年勲三等瑞宝章受章[18]。1928年叙従四位[19]。1933年叙正四位[20]。
1934年取引所制度調査会委員[21]。同年勲二等瑞宝章受章[22]。1937年東京商科大学附属商学専門部主事、東京商科大学附属商業教員養成所主事[23]。1938年叙従三位[24]。
1939年東京商科大学名誉教授[25]、叙正三位[26]。1941年紀元二千六百年祝典記念章受章[27]。1955年木杯一組台附受章[28]。指導学生に松本雅男一橋大学名誉教授などがいる[29]。
著書
[編集]- 『取引所論』東京高等商業学会 1925年
- 『取引所 上巻』東京商科大学 1928年
- 『取引所 : 昭和十二年度講義要綱』東京プリント刊行會 1937年
- 『銀行及金融一般』陸軍東京實業講習會
- 『取引所論』出版者不明
分担執筆
[編集]- 「特權取引の理法」, 東京商科大學『東京商科大學創立五十周年記念論文集』東京商科大學 1925年
関連文献
[編集]- 高瀬荘太郎編『最近の金融・経済問題 : 井浦先生還暦記念出版』叢文閣 1942年
脚注
[編集]- ^ 『人事興信録 第18版 上』(人事興信所、1955年)い3頁
- ^ 井浦仙太郞 (第8版 [昭和3(1928)年7月 の情報)]日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
- ^ 東京府立第一中学校沿革誌
- ^ 東京商科大学一覧 昭和4年度
- ^ 官報 1904年08月29日
- ^ 官報 1905年10月10日
- ^ 報 1908年09月09日
- ^ 文部省外國留學生表 大正2年3月31日調
- ^ 小樽高等商業学校一覧 自大正15年至16年
- ^ 歴代附属図書館長・図書館運営委員会委員名簿・事務組織小樽商科大学
- ^ 官報 1918年07月26日
- ^ 官報 1920年04月02日
- ^ 官報 1920年12月21日
- ^ 官報 1922年06月29日
- ^ 名古屋高等商業学校一覧 自昭和13年至昭和14年
- ^ 官報 1923年01月04日
- ^ 官報 1926年04月28日
- ^ 官報 1927年05月26日
- ^ 東京商科大学教授井浦仙太郎叙位ノ件
- ^ 官報 1933年02月20日
- ^ 官報 1934年09月22日
- ^ 官報 1934年07月06日
- ^ 東京商科大学一覧 昭和13年度
- ^ 官報 1938年03月23日
- ^ 報 1939年10月26日
- ^ 官報 1939年04月26日
- ^ 官報 1941年10月23日
- ^ 官報昭和30年本紙第8665号 287頁
- ^ 岡本清「一橋における原価計算と管理会計」如水会
|
|
|